2003年05月25日(日) |
<ダロウェイ夫人>から<めぐりあう時間たち>へ |
実は先々行オールナイトで「マトリックス リローデッド」を既に観たのだが、それはまた、別の話。まあ、今回この日誌に投票してくれる人が多ければレビューを掲載してもいいけどなぁ(笑)・・・
さて、ヴァージニア・ウルフが書いた小説「ダロウェイ夫人」は1997年に映画化されている。原作者も脚本家、監督そして主演も全て女性という上品で香り高い映画だった。ダロウェイ夫人を演じる美しく年老いたヴァネッサ・レッドグレイヴが素晴らしい。親友との同性愛的な関係が描かれるという点では、やはりヴァネッサが演じた映画「ジュリア」を彷彿とさせた。あれも見事な女性映画であった。
「ダロウェイ夫人」は主人公が自宅で催す夜会の為に、花を買いに朝出かける場面から始まり、宴の終わりとともに物語の幕を閉じる。その一日の間に彼女は過去を振り返り、どうしようもない後悔の念に捉えられて死を憧れ、そして最後に諦念を抱く。彼女が死を思い止まったのは、全く見知らぬ戦争帰りで心を病んだ青年、セプティマスの死の噂を聞いたからであった。
映画「めぐりあう時間たち」は「ダロウェイ夫人」を踏襲する形で物語が展開する。そして一体誰が<セプティマス>の役回りになるのかというのが重大な要となる。だからそういう意味では「めぐりあう時間たち」を観る前に予備知識として「ダロウェイ夫人」の小説か映画に触れておく方が理解の助けにはなるだろう。
「めぐりあう時間たち」は3大女優の共演というのも華やかだし、文芸作品ととして芳純な作品だとは想ったが僕は正直余り好きにはなれなかった。物語に救いがなさ過ぎる。ヴァージニア・ウルフはセプティマスという物語の本筋から離れた登場人物を設定することにより、主人公を死から救いはするのだが、結局作者本人は59歳で自殺してしまう。そういう生き方を決して否定はしない、いや、むしろ肯定している「めぐりあう時間たち」の作り手達の姿勢に僕はどうしても共鳴出来なかった。
僕はチャップリンが「ライムライト」の中で語った台詞を今でも信じたい。
ー人生には、死よりも苦しいことがある。それは生きつづけることだ。でもね、人が生きるためには少しばかりの勇気と、少しばかりのお金があればいいんだよ。ー
ロベルト・ベニーニはホロコーストの悲劇を描く自作の中でこう語る
ーそれでも人生は美しい。ー
そう僕たちに信じさせてくれる力こそ、映画を観る歓びなのではなかろうか?
追伸:短いメロディが永続的に反復し、重なり、暫時変化しながら音楽が進められていくミニマル・ミュージックの旗手、フィリップ・グラスの音楽が的確に映画に寄り添い、非常に印象的だったことを特記しておきたい。
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