2003年05月10日(土) |
Destination; Chicago ! |
(これは前回の日誌よりの続きである。)
そして遂に映画「シカゴ」を観た。想像を超える映画の出来の素晴らしさに感嘆した。
まず、ロブ・マーシャルの演出である。リメイク/テレビ版「アニー」で見込んだ男だけのことはあった。ミュージカル・シーンをロキシーの空想の産物としてステージに封じ込む作戦も違和感なく見事だったし、現実とイマジネーションの世界を巧みに切れ味鋭く切り返す編集の妙が極めて効果的。ダンス・シーン演出の基本はMGMミュージカルにおけるアステアやケリーの作品を観れば分かるが、なるべく編集で繋がず、またクローズ・アップなどは避けて常にカメラがダンサーの全身を映すことにある。この法則を無視して革命をもたらしたのが「ウエストサイド物語」であり、そのことは斬新であったとともに、ミュージカル映画の<死>を宣告するものとなった。マーシャルはダンス・シーンを細切れのカットで繋いでいるのだが、それが決してダンスの流れや醍醐味を失うことなく、むしろ畳みかけるスピード感が出ているのだから大したものだ。やはり自ら振り付け師であり、ミュージカルへの真摯な愛があるからこそ可能な技なのだろう。そういう意味ではボブ・フォッシーに似ていると言えるだろう。
しかし、マーシャルの振り付けは決して、あの独特な<フォッシー・ダンス>に似てはいない。くっきりと独自色を出しつつ、それでいて全体としてはちゃんとオリジナルのフォッシーへのオマージュになっているのだから恐れ入る。特にセクシーでダイナミックな「セル・ブロック・タンゴ」やシルク・ド・ソレイユを彷彿とさせるサーカス風「ラズル・ダズル(裁判所のナンバー)」、また操り人形に見立てた「私達はどちらも銃に手が届いた」の斬新な振り付けには瞠目した。
役者についてだが、まずこれでオスカーを受賞したキャサリン・ゼタ=ジョーンズの唄と踊りは圧巻だった。僕は彼女がキャスティングされた時点で調べてみたのだが彼女は10代の頃「アニー」の主役や42ND STREETの主役(ペギー・ソーヤ役)に抜擢されるなどウエストエンドでの立派なキャリアがあり、「マスク・オブ・ゾロ」で共演して撮影中にゼタの唄を聴いたというレクター博士ことアンソニー・ホプキンスはインタビューで「彼女の唄声はそれは美しい!映画で彼女の唄が聴けないのが大変残念だ。」とコメントしており、期待していた。しかし実際はもう想像をはるかに上回るパフォーマンスで、「姉御、恐れ入りましたっ!」とひれ伏すしかなかった。
レニー・ゼルウィガーはマリリン・モンロー風にイメージ・チェンジして可愛らしく、また唄に踊りに非常に頑張ってはいるのだが、何分ゼタと違って舞台経験がないだけに、分が悪く気の毒だった。「ブリジット・ジョーンズの日記」の彼女の方がはるかに魅力的。これでは今回オスカーを逃したのも仕方ないかなという気がした。まあ、まだまだ若いんだから幾らでもチャンスはあるよ。
しかし、彼女達にもまして今回一番魅力的だったのは意外なことにリチャード・ギアだった。今までのギアはハンサムでお洒落なナイス・ガイ、でもそれだけという印象でしかなかったのだが、今回は金にしか価値を見いださない悪徳弁護士役を何だかとっても愉しそうに、生き生きと演じていて観ているこちらまで嬉しくなってしまった。ギアといえばチベットを愛しダライ・ラマに私淑している真面目な人というイメージが覆され、こんな遊び心のある一面もあったんだという新鮮な驚きがあった。彼は若い頃、舞台でミュージカル「グリース」の主役(映画版ではトラボルタの役)を演じたキャリアがあるのだが、正直ガラガラ声で唄は余り巧くない。しかし映画で彼のパフォーマンスを観るとその欠点が余り気にならないのだから不思議なものである。
このビリー・フリン役は当初ジョン・トラボルタがオファーされており、プロデューサーや監督が三顧の礼を尽くしたにもかかわらず断られたそうだ。出来上がったフィルムを観てトラボルタは出演しておくべきだったと地団駄を踏んだという。そりゃあ、そうだろう。ギアはこれで大いに株をあげ、ゴールデン・グローブ賞まで授賞したのだから。
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