エンターテイメント日誌

2003年03月29日(土) スピルバーグ映画の法則

筆者はTVフィーチャーの「激突!」を含め、劇場映画デビュー作の「続・激突!カージャック」以降の全てのスピルバーグ映画を観てきた。そしてそこに共通する幾つかの法則を見いだしている。

法則1:必ず少年、あるいは<少年の心を持った大人>が登場する。

これは一時期<ピーターパン症候群>とも言われたものである。スピルバーグはマイケル・ジャクソン主演でミュージカル映画「ピーターパン」を企画していたことさえある。結局とん挫して、後にピーターパンの後日談を描く「フック」として実現することになるのだが。作曲家のジョン・ウイリアムズは「ピーターパン」で準備していた音楽をいくつか「フック」に流用したそうだ。「フック」のロビン・ウイリアムズだって、「ジョーズ」「未知との遭遇」のリチャード・ドレイファスだって、「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」のショーン・コネリーだって、みんな少年の瞳を持った、好奇心おう盛なやんちゃ坊主として描かれているのだ。

法則2:魅力的な大人のヒロインは決して登場しない。

スピルバーグ映画で魅力的だった女優を挙げろと言われて、貴方は誰を想い出しますか?きっと想い浮かぶ顔がないでしょう。敢えて筆者が挙げるとしたら「E.T.」のドリュー・バリモアだけだな。当時6歳(笑)。結局スピルバーグは子供を描くのは上手だけれど大人の女を描くのが極めて苦手な監督なのだ。これは法則1とも関連してくるのだが、つまり主人公が少年、あるいは少年の心を持った大人だから、大人のヒロインの居場所がないのだ。スピルバーグの辞書に「エロス」という言葉は存在しない。ちなみに現スピルバーグ夫人は「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」のヒロイン、ケイト・キャプショー。女に対する好みも選択眼が欠如している。

法則3:しばしば空への憧れ、あるいは空飛ぶ乗り物への憧れが描かれる。

有名なE.T.の空飛ぶ自転車の場面が象徴的。これはスピルバーグの映画制作会社アンブリン・エンターテイメントのロゴ・マークにもなっている。「未知との遭遇」で空飛ぶ円盤に取り憑かれる主人公や「太陽の帝国」で戦闘機に魅了される主人公の少年など列挙したらきりがない。

----------------------------------------------------------

さて、そのスピルバーグ最新作「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観た。上述した3つの法則が見事に当てはまっていて可笑しかった。デカプリオが10代の青年を演じても全く違和感がないのは流石であった。スピルバーグは的確に彼の資質を見抜いている。詐欺師=犯罪者なのに観ていてこの主人公に対し全く反感を感じないのは、あたかも少年の悪戯の様に描かれているからだろう。

もてもての主人公だから沢山美女が登場するのだが、そのことごとくに色気や魅力がないのもいつもの通り。「オールウェイズ」で証明されている通り監督がそもそも大人の恋愛を描けない人だから、物語からその部分を割愛して<父と子>の葛藤に焦点を合わせたのは脚色の勝利であろう。デカプリオとトム・ハンクスとのやり取りは明らかに<疑似親子>である。「最後の聖戦」におけるハリソン・フォードとショーン・コネリーのやり取りを彷彿とさせた。

主人公がパイロットになりすます場面は法則3に当てはまっている。さらに、「ジョーズ」の頃スピルバーグは007の監督をやらせて欲しいと立候補したそうなのだが、製作者から「まだ若過ぎる。」と断られたそうで、今回映画の中で007へのオマージュが挿入されていたのが微笑ましかった。これだけ大物になってしまうと今更007の監督は実現不能だろう。返す返すも残念だ。色っぽいボンド・ガール不在の007映画も是非観てみたかった(笑)。それにしても主人公が偽名でフレミング(007の原作者)を使っている場面は可笑しくて吹き出した。

今回スピルバーグ映画としては珍しくSFXを殆ど使用していない。早撮りでささっと気軽に作り上げた小品という印象だ。らしくないといえばそうなのだが、たまには映画作家(フィルム・メーカー)としての気負いを捨てて映画職人に徹して愉しんで撮りたかったのだろう。そういう彼の気持ちが映画の行間から滲んでいた。映画史に名を残すような大傑作ではないが、愛すべき作品である。

今回の映画の格言はスピルバーグ映画の神髄を解き明かす、キーワードをご紹介。右下投票ボタンをクリックすると明らかとなる。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]