エンターテイメント日誌

2002年07月01日(月) クローンたちはダース・シディアス卿の夢を見るか?<スター・ウォーズ エピソードII>

フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画「ブレード・ランナー」の原作である。現在米国で公開中のスティーブン・スピルバーグ監督作品「マイノリティ・レポート」の原作もディックである。前置きはそれくらいにして・・・

「スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃」を早速先々行オールナイトで観て来た。エピソードIより遥かに面白いと大評判の本作だが、僕はどちらかといえばエピソードIに軍配を挙げるなぁ。上映時間2時間半。シリーズ最長である。「エピソードIII」へ向けて、あるいはエピソードVI以降との辻褄を合わせのために沢山の複線が張られていて、それが前半の展開をもたつかせてしまい、散漫になった感がある。まあ、話が中途半端というのは中間のエピソードの宿命で、それは「エピソードV/帝国の逆襲」でもそうなのだが、エピソードVがシリーズ最高の完成度を得たのは何といっても脚本に参加したローレンス・カスダン(「白いドレスの女」「わが街」)の功績が大きかったのだろう。

ルーカスは「アメリカン・グラフティ」の頃からそうなのだが、相変わらず恋愛を描くのが下手だなぁ。主役の二人が(ルークとかレイア姫と違って)美男美女なのと、壮麗な風景が脚本・演出の不備を辛うじて救ってはいるのだが・・・。それからアナキンが母親の救出に行って、彼の胸の中で母が息絶えるというお涙頂戴のご都合主義には苦笑せずにはいられなかった。まあこれも、ダース・シディアス卿の陰謀の一部なのだろう。エピソードIのダース・モールと比較すると今回、悪役の存在感が弱かったのも残念だった。

しかし、後半の最新の特撮技術を駆使した怒涛の展開は流石であった。今回のなんといっても目玉はマペット操作から完全CG化を果たしたヨーダであろう。そのことにより表情がさらに豊かになり、哲学者的な雰囲気も増した。そしてライトセーバーを初めて握ったその雄姿とあのすばしっこさ!いやはや想わず笑っちゃった・・いや、勿論良い意味で。このクライマックスのためのCG移行でもあったのだろう。そしてそれは見事に成功している。前回は「マトリックス」の前に涙を飲んだが、今回こそは是非アカデミー特撮賞を獲らせてあげたい。(それからアミダラのファッションが印象的な衣装デザイン賞も。)

しかし一方で、これだけCGでどんなことでも出来るとなってくると、何を観ても驚かない・感動出来ない自分がいるのも確かである。嘗ての映画は、その不自由さ・表現の限界を逆手にとって、省略するあるいはそのもの自体を見せない(例えば、壁に映る影だけで表現する)事によって観客の想像力を刺激し、内容に陰影を持たせ深みを増してきたという歴史がある。これだけ何でも見せてしまうと、映画の芸術性が単なる「見世物」に貶められているのではないか?という危惧も心の片隅から消し去る事が出来ないのだ。

最後に音楽について触れよう。ジョン・ウイリアムズがこのシリーズで成し遂げてきた仕事は、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」に匹敵する偉業であり、そのさまざまなライト・モティーフ(テーマ)を縦横無尽に駆使した壮大な音楽はまさに「スペース・オペラ」という名称が相応しい。しかしながら今回のエピソードIIは目新しいのが「愛のテーマ」くらいで後は昔のテーマの焼き直しばかり。些か物足りない。エピソードIIIではあの「帝国の逆襲」の頃みたいな新テーマのつるべ撃ちを、是非期待してまっせ!

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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]