2002年03月31日(日) |
シゾフレニック・マインド(schizophrenic mind)とブラックホークが落ちちゃった。 |
先日亡くなったコメディ映画の巨匠、ビリー・ワイルダー監督は自作「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」に出演したオードリー・ヘップバーンについて茶目っ気たっぷりにこう語った。「彼女はね、schizophreniaなんてややっこしい単語のスペルを綴れるんだよ!」と。
今年のアカデミー作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞を受賞した「ビューティフル・マインド」。この映画には「シックス・センス」並の大仕掛けが仕組まれているので、なかなかネタバレなしで書くことは難しい。というか巷に氾濫している紹介文を読むと、完全に種明かしをしているものが少なからずあるので、これからご覧になられる方は完全に予備知識なしで映画館に往かれることをお勧めする。映画を観る楽しみが半減してしまいますよ。先日のアカデミー授賞式でのウーピー・ゴールドバーグのコメントでもあからさまに核心部分に触れていたからなぁ。まあ、あちらでは公開して時間が経っているから良いけれど、日本は3/30に始まったばかり。幸い僕は先行オールナイトで観ていたから被害は最小限に食い止められたけれど(^^;。
実話の映画化というと劇的要素が少なく、淡々として退屈な作品が多い中(その典型例がオスカーを大量受賞した『ガンジー』である)、この映画の場合はフィクショナルなハッタリを加味し、観客をアッと驚かせる仕掛けもあってエンターテイメントとして秀逸な出来であると想う。これは練りに練られた脚色の勝利であろう。ロン・ハワード監督は小気味よく分かり易い演出で好感を持ったが、まあ僕としては彼には傑作「アポロ13」でアカデミー監督賞をあげたかった。遅きに失したきらいがある。ラッセル・クロウのおどおどした病的演技は確かに上手いのだけれど、些か<作りすぎ>だなぁ(^^;。彼の資質に似合ってないと想う。恐らく脚本を手にしたラッセルくんは「お、この役なら2年連続オスカー受賞はいけそうだ。」とほくそ笑んだことだろう。そして同じ様な役で過去にオスカーを受賞した「フォレスト・ガンプ」のトム・ハンクスや「レインマン」のダスティン・ホフマンの演技をビデオで繰り返し観て研究したに違いない。そういう事情が透けて見えるような<あざとさ>を今回の彼に感じて、なんだか可笑しかった。実生活のラッセルくんは直ぐにカッとして人に殴りかかるような粗野な男らしいが(英アカデミー賞授賞式でのプロデューサーとのトラブルなど)、それを地で演じたような「LAコンフィデンシャル」の暴力警官役の方が素直な演技で僕は大好きだ。「グラディエーター」の彼も格好良かった。しかし一方で、先日の来日時でも主演男優賞に自信たっぷりで超ご機嫌だったラッセルくんの天狗になった受賞スピーチも聴いてみたかったのも事実である(英アカデミー賞ではなんと詩!?を朗読したそうだ。でもプロデューサーが長すぎると途中でCMを挿入(^^;)。授賞式でプレゼンターだったジュリア・ロバーツは「デンゼル・ワシントン」の名を読み上げた時、はしゃいで大喜びだったが、よっぽど奢れるラッセルくんに自らオスカー像を渡すのが嫌だったのだろう。
あっ、こんな事書いてますが映画「ビューティフル・マインド」自体は非常に面白い映画で最後まで一気呵成に魅せてくれるのでお勧めです。
さて、そしてアカデミー監督賞にノミネートされ、編集賞、音響賞を受賞した「ブラックホーク・ダウン」である。「プライベート・ライアン」の冒頭30分の戦闘シーンが最初から最後まで映画全編にわたり繰り広げられるような作品と聞いていたのだが、「プライベート・ライアン」みたいに気分が悪くなるような<えげつない>描写もなく、迫力満点で見応えのある映画であった。リドリー・スコット監督はデビュー作の「デュエリスト」の頃から切れ味鋭くスタイリッシュな絵作りをする人(その代表作は文句なしにSF映画の金字塔「ブレード・ランナー」だろう)だったが、その彼の持ち味はこの最新作でも健在でその映像や、スロー・モーションやストップ・モーションを巧みに(ジョン・ウー監督みたいにこれ見よがしでなく)織り込んだテンポ良い編集に魅了された。映画の冒頭は青を基調とした色彩の映像で始まり、途中タイヤが燃えて煙がたなびく辺りから画面に徐々に灰色のくすんだ色彩が混入してくるといったように、計算し尽くされた映像の色彩設定に唸らされた。さすが巨匠である。
アメリカ合衆国という国家は自分たちを<絶対の正義>と信じ、世界の秩序を司る番人と自らを任じているが、時には内政干渉とも受け取れるその行為が世界各地で紛争や憎しみを生み、昨年NYでの同時多発テロを招いた側面があるのは否定できない事実であろう(これは決してテロ行為を肯定するものではない)。「ブラックホーク・ダウン」で描かれるソマリアの事件も、正義はアメリカ側に本当にあるのか?アメリカが余計な干渉をしなければこのような最悪の事態に陥ることがなかったのではないか?という疑問が最後まで付きまとう。その点をスコット監督は決して声高な主張はせずに客観的に終始突き放して描き、観客それぞれの解釈に委ねている姿勢にも好感を抱いた。
この映画に<反戦>のメッセージを読み取ろうとする人がいるみたいだが、僕に言わせればそんなのナンセンス。多分そういう人達は<ビューティフル・マインド>を持っているんでしょうねぇ(笑)。
|