張り合う気持ち、受容、変化。(後編) |
そうやって突っ走って来た結果、身体を壊してしまう事もある。 病気をして初めてそれに気付くきっかけを得るのだ。 その人にとっては、その病気は必要だったのだ。 病気は辛いけれども、すごく良いチャンスを与えられたのだ。 自分をいたわるのがいかに大切か、気付くチャンスなのだ。 中には、倒れてもまだ頑張り続けようとする人がいる。 こんなはずじゃなかったと、後悔と焦りの念に囚われて。 そういう人を見ていると、ほんとうに辛い。 でも、周囲がなんと言おうとも本人はそれに気付かない。 自分がどれだけ心身を痛め付けているかを。 でも、そうやって走り続けていなければ不安になってしまう原因が、 その人の中に癒されないまま、解決されないままある限りは、 それを続けてしまうのが当然だと思う。 それを止める事の方が、その人にとってとても辛いのだから。 止めることが、楽になることなんだと気付くまでは。
それは仕方がない。 『気付き』はその人に一番いいタイミングで起きる。 その人には、まだそのタイミングが来ていないのだろう。 本当に今までの信念を根底からくつがえされるほどの事が起きない限り、 その人は今までの思考のパターンから抜け出す事は出来ない。 一度、自分の価値観をひっくり返されなければ変わらないだろう。 今まで自分のやっていた事が間違ってたんだ!と。 それに気付いた時のショックは並々ならぬものだし、 今まで信じて来たアイデンティティも危うくなるかもしれない。 でも、そこまで行ってやっと変われる。 それまでは、辛いながらも自分はなんとかやれているという幻想に、 支配されたまま同じ生活を繰り返していく。 頭では変わらなくちゃと思っているけれども、 その変わらなくちゃは文字面だけのことであり感情は伴っていない。
先日学園物のドラマを見ていて思った。 どうしようもなくバラバラですさんでいたクラスが、 学園祭の出し物をやり遂げた事で変わって行くという話。 その中で、クラスで最も反抗的で問題がありそうな生徒が、 学園祭終了後に泣いていた。素直な感情をあらわにしていた。 ドラマだから大げさに描かれている部分もあるかもしれない。 しかし、私は有り得ない話ではないと思った。
彼は、今までに体験した事のないような経験をしたのだ。 必死に練習して、力いっぱい踊り、やり遂げて、成果も感じられた。 彼にとっては、今まで自分が生きてきた世界観が変わるほどの出来事だったのかもしれない。 そんな経験をしたなら、人間はいとも容易く変われるのだと思う。
それまでのその生徒のキャラクターが、強烈に生意気だったため、 その生徒の変化を好意的に見れない雰囲気があるのかもしれない。 でもその彼もまた、仕事が忙しくてまったく子供に目を向けない、 そんな親に育てられた、寂しい子供なのだ。 その寂しさや虚しさの裏返しが、あの反抗的な態度になっていたのだろう。 相変わらず、とてもよく考えられた脚本だと思った。
人は持っている傷のパターンで、現れてくる性格や行動は驚くほど似通ってくる。 そういう事もちゃんと分かった上での脚本なのではないだろうか。
私は、自分自身が今感じている事を大事にしたい。 今、これをやっている事が楽しいのか、嬉しいのか。 自分は幸せを感じているのか。 幸せの判断基準は自分の中にある。 『年収1000万円以上が幸せだ。』と聞かされても、 年収300万円の自分が幸せならそれで良い。 都心に1軒家を持ってなくても、田舎暮らしがしたいならそれでいい。 表面からしか見えない他人の幸せをねたんで、 目の前にある幸せに気付かないなんて悲しい。 自分が良いと思えればそれでいい。他人の評価なんて関係ない。
人と張り合う事で満足できるような幸せはいらない。 夫婦間の関係でも同じことが言える。 夫婦がお互いにライバルになってしまうとうまく行かない。 相手を尊重しつつ、自分の事も大切にする。 自分が出来ない事をひがまない、ねたまない。 人間関係は、どっちが偉いかどうかで決まるものではない。
自分とまったく違う境遇にいても友達。相手が社長で自分が無職でも友達。 違うからこそ面白いんじゃないかとも思う。 でも、そう考えられるようになるためには、 そう思えない自分の心の問題を片付けなくてはいけない。 人を認められないということは、そこに自分の傷がある。 痛いから触りたくない、見たくないという事なのだ。
たとえばある相手を嫌いだとか腹が立つと思った時。 そう思う原因は相手にあるのではなく、自分の中の傷にある。 その傷がなんであるかに気付き、ちゃんと癒せていれば、 その相手を見ても腹が立ったりしないのだ。 だから私は、自分の感情をかき乱す相手に会うとチャンスだと思う。 それを見つめる事で自分の中の問題点がまた一つ明らかになるかもしれないと。
私は既婚、パニック障害。友人は未婚、健康。 お互いそれぞれ忙しいし、境遇も違うけれど10年来の友人だ。 会いたいと思えばどうにでもなるし、たとえ会えなくても友情は続く。 うまくいかなくなった時もあった。 でも友人の存在を大切だと感じているから続いて来たのではないかと思う。
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2004年11月03日(水)
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