東京の片隅から
目次きのうあした


2017年12月05日(火) 「ダルちゃん」と「独女生活」

資生堂のウェブサイト「花椿」で連載されている「ダルちゃん」というマンガがなかなかブラックである。

「ダルちゃん」は、本来のダラッとした性格を隠して普通の女子に擬態している女の子「ダルちゃん」(本名はナルミちゃん)の話。彼女に無関心な家族にも問題があるが、あまり考えることをせず、「周りから浮かない」ことを第一にして大人になってしまった女の子。個が確立されておらず、こうありたい・なりたいという像もなく、ふわふわしている。忠告してくれる先輩「サトウさん」もいるが、そのアドバイスにはむしろ反発や敵意を感じている。
現在8話まで来ていてこの先どんどん事態が悪くなる方向に行きそうな感じ。
自分は場に馴染めないなら浮いていればいいやと思うタイプだったし、中学高校大学とそういう友人ばかりだったので「ダルちゃん」のことはさっぱり理解できないのだが、量産型女子大生とか町中で見かけると、こういうタイプの子は一定数いるのだろうなぁと思う。
自己肯定感が少なくて、一人で行動できなくて、人生設計もなくて、趣味もないというタイプ。

このマンガが女子は可愛くあるべしとかそういう同調圧力を生み出す側の化粧品会社のウェブサイトに掲載されているというのはどういう皮肉だろうか、と思ったのだが、良く考えたら「花椿」という媒体は紙の時からどちらかというと「サトウさん」側の人が読むものなので何の不思議もないのだった。やっぱり皮肉か。

同じ時期に、Gingerという雑誌のウェブ版で「一人で行動できないあなたに一人映画のすすめ。予告編が始まってから入ってエンドロールの途中で出れば一人も気にならない」という記事があって、当然「館内が暗いときにうろうろするのは非常識!」「自意識過剰すぎ、だれも他の客なんて見てねぇよ」と映画好きとお一人様上等派の両面から軽く炎上していた。映画好き、かつ一人で見る自分の目から見ても当たり前の反応である。
でも、その記事というか雑誌そのもののターゲットがそういう「ダルちゃん」的な層なんだろうな、と思う。映画を見に行くことはあっても、映画が好きなわけじゃなくて、つきあいの手段として、ウインドーショッピングやカフェでのおしゃべりと同じレベルでの、ただの群れるためのツールと考えている人たち。
そういえばそんなタイプの人、会社にも昔いたなと思い出す。誰かと一緒じゃないと映画もコンサートも美術館も行けない、一人でファストフードや喫茶店も無理な人。人の趣味に「えーいいなー」と同調はするけど、それは話をあわせるのが目的で、悪い人ではないんだけど「自分」が見えないだけどこに地雷があるかわからなくて面倒くさい人だな、という印象があった。今は何してるのかな。やっぱりママ友に同調することが第一なのかな。


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