東京の片隅から
目次きのうあした


2015年06月26日(金) マグリットとシャルフベック

午後、休みを取ってマグリットを見に行く。
平日の午後だが、会期末ということもあってか結構混んでいる。
今回はマグリットが作品について語った文章(抜粋)も絵の隣に飾られていたりするので、そういうところにはさすがに人が滞留するが、それでも絵と絵の間はあいているし、後ろの人に押されることもない。平和だ。
初期作品から辿っていくと、表現の変遷がよくわかる。試行錯誤している中にも、モチーフの選択や風景が無音な感じなど、彼らしさは既にある。

久しぶりに彼の絵を見て思ったのだが、決して絵が上手くはない。わりとヘタウマな感じ(笑)
そして絵の脇に抜粋してある文章が回りくどくてわかりにくい。わざとなのか、いいたいことが上手く言えないからなのかは、少しだけの文章ではわからないのだが、読むと余計にもやもやする。
でもそれが彼なんだろうな。タイトルとモチーフの関係なさ、絵に感情があるのではなくそれは見る側が勝手に感じていること、ものをことばから解放する試み。こちらの頭の中が「?」でいっぱいになるのが彼の目的か。

物販コーナーの売り子さんたちがみんな黒ずくめで黒の山高帽をかぶっているのには笑った。徹底している。物販自体は少なめ。権利関係が厳しいのかな。いつも展覧会で一番気に入った絵は個人蔵だったりして絵はがきがなかったりするのだけれど、今回はあった。

見終わって、乃木坂から移動するのは確定だが、このままショッピングなどでぶらぶらするかどうか迷う。
夏服を見たい気分はある。でもなぁ、自分の着たいと思う服はだいたい売っていない。何を着たらいいのかがわからなくなっている現在、闇雲に服に手を伸ばす気分でもない。膝が抜けかけてきたデニムジーンズは新しいものが欲しいが。

とりあえず地下鉄に乗ってこれからの行動を考えたが、結局根津で下車。東京芸大のシャルフベック展をはしごする。
フィンランドの女流画家らしい。
写実的な初期からどんどんそぎ落としていって色の陰影だけになる晩年まで、どの絵でも「目」が印象的。こちらに視線が向いていなくても気になる。
自画像での自分を見る目に残酷なまでの画家の視線。
色合いはローランサンに似ていなくもないが(同時代で同性なところは共通項か、そういえば子どもの頃ローランサンがとても好きだった、最近展覧会ないなぁ)もっと厳しい苛烈な視線。
良かった。


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