BMJ付属
佐藤君のひなたぼっこ
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人がこの世に生きてること 人生というものがあること
実際は全てただ偶然存在しているだけで それ以外何物でもないわけで 「意味」を感じる全ては結局は脳という有機体のおりなす 偶然の錯覚で、巨大な妄想なのだろう。
問題は人間が(明瞭な)思考をする時言葉を使い、 意味と理由から意味と理由を求めること、これは単なる「道具」であるわけで これを主体・全てとして思考する「人間」がこの世界に存在すること それ自体に少々無理があることだ。
だが、同時にこれを「無理」として結論付けてしまうと 「生存」を目的としていた非常にプリミティブな人間を、 在るべき最終状態としてしまうことが非常に有力であるように思えてしまう。
しかしながら過去数千年「生存」を目指して構築された最終形態といって差し支えない現代世界において このような思考に辿り着くのは数千年の過去から見てもまさに退行なのではないのか。
だが、生存の、とりわけ種としての生存がほぼ確立された筈の人類が それでもなお完全に満たされていないもやはり事実だ。
今現在分かっている事は、 「意味」の「妄想」を認識することは、結局「妄想」そのものによる苦しさの存在を何ら解決せず 少しばかりのこれまでの概念を否定する感慨を味わえるだけであること。
以上、目的の無い受験生のぼやきでした!!
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