君が僕を必要としてるなんて誰も知らない。 - 2003年11月19日(水)

毎日日記を書きつづける、というのは単純なことに思えて意外と労力が必要です。
日記に書けるような出来事があった日はいいですが、一年のうち半分以上は何もない普段の毎日を過ごしているボクですから、やっぱり日記を書くのが難しい日もあるわけです。そんな日はどうするかというと、まぁ大抵は思ったことを徒然と書き連ねたりします。もうこの時点で日記とは呼べないのですがそこは個人HP。多少の細事には目をつぶっていただく、としか言いようがないわけです。まぁ、これは良いほうで、実際問題一番厳しいのが、書きたいことが溢れている状態、というやつです。日記としてもいろんな出来事があったり思うこともいくつかあったり、と。こういう場合、せっかくネタとしてあるのだから、それらの素材を全て生かしきりたいところですが、そうもいきません。三流の料理人に一流の素材をたくさん提供しても、出来上がる料理が決して一流ではないのと同じように、素材がよいからと言ってよい作品が出来上がるというわけではありません。逆にたくさん素材があるせいで、中途半端なものが出来上がる、という可能性のほうが高いわけです。よって磨くべきはまず自分の能力、素材をいかに上手く調理するか、というところなわけです。この点で、ボクが見本としているのがプラッチックのフロンツ氏です。メインは短文のネタなんですが、トップのタイトル画像をクリックすると「裏ッチック」に入ることができ、長文ネタを読むことができます。ファミコンの裏技解説か。
ボクもこの日記、毎日ではないですが書きつづけて早や三年と二ヶ月。文章力にも多少の向上が見られてもいいころだとは思うのですがいかんせん小学校から作文の苦手な男として知られていたものでして、今見直してみても、相変わらず文章にまとまりがないわ、表現力がないわ、オチもないわ、のないない尽くしというのを痛感している次第です。これはもう文章が苦手、という次元の話ではない気もします。しかしまぁ、こんな駄文でも毎日見に来てくれている人がいるわけで、深く感謝していますし、そういう人がいる限りこのサイトは続けていこうと思っています。あなたの心の隙間をお埋めいたします。(ドォーーーン!)






ということで、今日は日記に書くネタがないときの悪い見本としての対処例をご紹介しました。




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