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“そもそも範疇外、ありえない”男たちと帯に書かれてはいるけれど、何となく表紙の感じから、間宮兄弟って、ちょっとカッコいい兄弟たちだと激しく誤解していた。
そもそも間宮兄弟は、どちらもとっくに30歳を過ぎているのに、いまだに仲良く二人で一緒にマンション暮らしをしている。人付き合いも苦手で、周りから見れば、怪しい変わり者の兄弟。もちろん、範疇外で、カッコいいどころか、最悪の部類。恋愛事では、ことごとく苦い思いを痛烈に味わい、始まる前にすでに終わっているような人たち。最近では、凪いだ生活を送っているけれど、それも恋愛事から遠ざかって、枯れた境地に辿り着いたから。
怪しげで、閉じてしまった人たちだけれど、間宮兄弟それぞれに、静かで大切な暮らしがあって、二人は仲良く遊び、楽しい共同生活を送っている。そうはいっても、彼らにもやはり気になる女性がいて、苦心惨憺、カレーパーティやら花火大会やらを開いて、近しくなろうとする。
範疇外の間宮兄弟だから、恋愛対象としては厳しいだろうけれど、そういう対象でなければ間宮兄弟の醸し出す世界はとても平穏で心安らぐ存在でもある。どこかに置いてきてしまったものとか、捨ててきてしまったものとか、あってもなくてもかまわないものだけれど、あるとやはり、ゆたかなものなどで、満ち満ちている気がする。ちょっと、セピアがかかった世界だけれど。「そういう生き方」もありなんだろうなと。
「そういう生き方」の根底にあるのは、諦念だろうか。背伸びせず、無い物ねだりせず、自分の手の届く範囲だけで満ち足りて、静かに暮らす。そういう人の側にいれば、そういう世界に触れていれば、現実のなかでぎざぎざととがったり、ささくれたりする気持ちも穏やかになるかもしれない。 現代版の世捨て人?でも、完全に隠遁生活を送っているわけではないから、間宮兄弟だっていつでも心穏やかに暮らせるわけではないけれど。間宮兄弟の日常の暮らしぶりとともに、彼らの恋愛、彼らの巻き込まれるけれど決して当事者にはなれない複雑な恋愛事情が描かれている。
読み終えてみると、私はどうやら最近、間宮兄弟的生き方に近づきつつある。そんな私が何だかいいなと感じた「読書日」…とにかく本を読み続けて、読書だけをして何もしない。外食に出ても本は離さない。
夜。兄弟は読みかけの本を持ったまま、馴染みのつけめん屋のテーブル席に腰掛けている。どちらも食事中に読むことはしないが、それでも持ち歩くことが「読書日」のならわしになっている。本をというよりその世界を持ち歩いているということが、二人でいるとよくわかる。互いに相手の持っている本は物体にしか見えないが、自分のそれはすでによく知っている人物や風景が詰まっていて、ここではないどこかにつながっている道のように思える。(引用P101)
読み終わっても、しばらく大事にベッドサイドに置いておく本とか。まだ読んでいないけれど、これから読む本を入れておく大きなバスケットではなくて、小さなかごに別に分けている本とか。図書館で借りて読み終えたのに、まず二度読みすることはないと知っているのに、わざわざ買ってしまう本とか。
言われてみれば当然なのだけれど、私は本を所有しようとしているのではなく、その本の中の世界にいつまでも触れていたいのだと。その世界を一時の間だけでも、所有し続けたいのだと。いまさらながらに、気がついたのだった。(シィアル)
『間宮兄弟』 著:江国香織 / 小学館2004
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管理者:お天気猫や
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