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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2001年12月17日(月) --

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『コルシア書店の仲間たち』

ミラノ。

コルシア・デイ・セルヴィ書店、 通称コルシア書店。 司祭で詩人のダヴィデ・マリア・トゥロルドが 教会の軒を借りて友人たちと始めた 自由な空気の「居場所」。

夢のいる場所。

1950年代から10年余り、そこに居場所を求めた、日本人の「私」。 書店仲間のひとり、ペッピーノと結婚する「私」。 今は夫に先立たれ、日本に帰っている「私」が、 時を経て、あのころの回想を記しはじめる。

書店をとりまく人々の、日本語によるデッサンが 淡々とつづられて、やがてコルシア書店の姿と その時代がイメージをなしてゆく。 さまざまな階層、生き方。 やがてダヴィデが書店から離れ、 遠心力を失ってゆく「夢の場所」を ミラノという街の内側で描いている。

以前からイタリアは街によって性格がかなり異なるとか、 いろいろ聞くけれども、自分で確かめたわけではないから ミラノはどんな街、と聞かれても、こうだとは 言えないのだった。 それが、いまはちがっている。 なんでも想像力のままに思い入れてしまう私は、 もうすっかり須賀さんのミラノを内にとりこんでしまった。

その稀有な体験から何を選び取り、何を感じとるか、 感性の命ずるままの優先順位で彼女は文章をつむぐ。 こんなふうにいうと、すごくざっくばらん、衝動的に 書いているように思われそうだが、 須賀さんの文章から一般的に抱くイメージは まったく逆なので念のため。

どんなに淡々とつづっても、過ぎゆく時間のなかから 抽出されてゆく他者の情熱は、 読むものを熱い思いで満たしてゆく。 それはもともと、作者の内にあった情熱のうつり火だ。

読みながらうかびあがってくるのは、 上流・中流・その日暮らし階級のミラノ人への シンパシィとともに、 その流れのなかで、この文章をたぐり寄せた人の姿である。 きっと書店仲間の誰もが尊敬の念を まなざしにこめて接していた、 ひとりの、たぐいまれな日本人女性。 自分のことはほとんど語っていないにもかかわらず、 ちょっとした誰かの言葉や行為によって、 語り部の姿がデッサンされていく。 あの個性的な面々にとって、須賀さんが どんな存在だったのかも。

ときどき思う。 作家というのは、なにも一冊の本を出さずとも、 生まれついての生き方の呼び名だと。 表紙に装丁された船越桂の彫刻は、 「言葉が降りてくる」という言い得たタイトル。 須賀敦子が61歳で作家としてデビューし、 70歳を前にして惜しまれつつ他界したと知っても、 彼女のために惜しいとは思わなかった。 ただ私たち読者にとって、惜しい。 だが、どのみち彼女はずっと、 作家の目でものを見ていた人なのだ。

※2000-2001年にわたり、河出書房新社から 『須賀敦子全集』を刊行。

(マーズ)


『コルシア書店の仲間たち』 著者:須賀敦子 / 出版社:文春文庫

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