へろへろ雑記
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2000年09月12日(火) 集中豪雨

11日の5時半に会社を出て、駅についたら電車が止まっていました。駅の周辺はそんなに雨が降っていませんでしたが、大雨で電車が遅れることは別に珍しくない(JRは雨や雪ですぐ遅れる)ので、気にせずにそのまま電車が出るのを待っていたときはまさかこんな事になるとは思いませんでした。

6時少し前になって、ホームに止まっていた新快速列車が出発するというアナウンスで慌てて電車に乗り込み無事に出発。最初の停車駅に停車し、やれやれあとひと駅、と思ったところで電車は通過するはずの駅で停車。
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で電車は結構混んでいました。私も含め乗客の頭には「?」が飛んでいたに違いありません。時折流れるアナウンスは「停止信号で止まっています」を繰り返すのみ。このとき乗客が一斉に携帯電話を取り出したのが印象的でした。
電車は停車したままドアも閉ざされたままで外に出ることもできません。その後しばらくしてアナウンスは「運転の再開の目処はたっておりません」に変わり、また携帯電話が一斉に取り出されました。
さらに30分あまり経った頃でしょうか、アナウンスが「6両目の最後尾のドアを開けております。外に出られるかたはそのドアをご利用下さい」のアナウンス。おいおい、どうして6両編成の電車の最後尾だけドアを開けるんだい、と周囲に苦笑とも失笑ともとれる笑いがおきました(当然でしょう)。そして始まった乗客の移動。混んでいる電車をかき分け人が移動していきました。

7時頃になって、こりゃもう埒があかんわと思った私も移動を開始しました。タクシーを待つものの全然来る気配がない。凄まじい雷と雨で傘は役に立たず穿いていたジーンズはぐしょぐしょ。
私鉄は動いているかもと思い、最寄りの私鉄駅へのバスがあるのを思い出してバス停へ。近くにいた人に「バスはきましたか?」と訊いたところ「1時間くらい待ってるけどこないねえ」との返事。こりゃバスもダメかと家に電話。私としては、このとき親がぐずぐず言わずに(遠いだの、駅の周囲の地理がよくわからないだの)迎えに来てくれればこんなヒドイ目に遭わなかったのに…とちょっと怨みたい気分でした。
結局、比較的近くに住んでいる遠い親戚のSさんに迎えに来てもらうことになりました。この方に多大なる迷惑をかけることになるとも知らずに…。

時間が経つと共に雨はますます激しくなり、迎えを待っている駅前ロータリーは川状態に。似たような車が来たので確認に近づいたところ水深はすでに20cmあまり。しかし待てど暮らせど車は来ない。迎えに来てもらう約束をした以上他の手段に乗り換えることもできないし…とひたすら待っていました。
何時ごろかわかりませんが電話が入り、冠水を避けて走っていたので駅の反対側に出たとの知らせが。相変わらず激しい雨と雷の中、陸橋を渡って駅の反対側へ移動しました。ところが駅の反対側は冠水がさらにひどく、電話で誘導を受けながら歩いて行くと濁流はどんどん深く、水の勢いもかなりで流れに逆らうように歩かないと流されそうな感じでした。途中で小さな川がありましたが水位はすでに橋桁を越えていました。膝下だった冠水が膝になり、やっとの思いで車に辿り着くまでには膝上までの深さのところがありました(60cmくらい?)。

びしょびしょになった体を抱えて車に乗り込みホッとしたのも束の間、冠水はどんどん深くなっていきます。濁流なので水深もわからず、水の下に何が隠れているのかも全く見えません。一度「外を確認して」と頼まれてドアを開けたら水が車の中に流れ込み、慌ててドアを閉める一幕もありました。
対向車が巻き起こす波と水の浮力のせいで車の操舵もうまく行きません。運転していたSさんはときどき車の前輪が浮いていた、と言っていました。ちなみにこの車は1トン(+人間2人)あるそうです。悪いことは重なるもので、とにかく動かなきゃと思った矢先に車が何かに乗り上げパンク。豪雨の中をSさんが必死にパンクを直してくれました。そして深い濁流の中を必死に車を進めようとしますが、エンジンが切れる度に万事休すかとヒヤヒヤし通しでした。

最初は自宅まで送ってもらう予定だったのですが、冠水のものすごさと渋滞、時間を追うごとに増える通行止めの道路という現実に諦めてSさん宅に止めていただくことにしました。しかし行く道路行く道路冠水していない所はなく、のろのろ運転の末に辿り着けば「この先は通行止めになりました。引き返して下さい」と言われることも二度三度とありました。しかも交通整理をしている人も状況を把握しておらず、地元住民で道路事情に詳しいSさんが「じゃあ国道○○は? △△橋は通れますか?」と訊いても何も情報が得られませんでした。こういう情報の混乱が渋滞をひどくする原因のひとつだなあとしみじみ。
引き返さなくてはならなくなったのは川の堤防が決壊したからでした。その川には平行して道路が走っているのですが、その道路を走っていたバスがあっと言う間に水に浸かり、乗客がバスの屋根に登って救助を待っているということでした。次の日の午前くらいに救出されたそうです。
道路のあちこちには動かなくなった車が乗り捨てられていました。中には天井まで水に浸かっていた車もありました。

そしてまたのろのろ運転の末に辿り着いた別のルート。100m先の交差点を越えればSさんの家はすぐです。しかし車の流れはピタリと止まってしまいました。反対車線をくる車はちらほらあるのですが、この先の道路が不通なのか単に渋滞しているのかは判らずじまい。
とりあえず先の様子を見てこようと私は徒歩で交差点の様子を見に行きました。数珠つなぎの先頭はトラック、そしてそのトラックの先の交差点は川になっていました。引き返して私はSさんに「交差点の一番低いところが水没している。そこを乗り切れば水はないけど乗り切れるかどうかわからない」と伝えました。
Nさん(Sさんの奥さんの妹さん・私とはまたいとこ)から電話があり、もし家に帰れないようならうちに泊まってと電話が入りました。道路の様子を聞いたSさんはNさんの家に向かうため車をUターンさせました。が、Nさんの家に向かう道路はまたしても閉鎖されていたのでした。
今さらビジネスホテルを探しても見つかる訳がありません。万が一見つかってもそこにたどり着けるかも怪しい。Sさんは最後のルートを試すことを決心しました。

そのルートは途中までは非常に快適でした。道路も冠水しておらず交通整理の人もいないことから閉鎖されていない様子。快適に車を飛ばし、あの橋を渡りきればSさんの家はもうすぐ!…と思った途端ものすごい冠水に突っ込んでしまいました。その日に体験したうちで一番深い冠水だったと思います。なぜ道路が封鎖されていなかったのか?と今でも不思議でなりません。
冠水の深さと中央分離帯と放棄されている車のおかげでUターンは不可能でした。あとは運を天に任せて突き進むしかありません。水はボンネットを乗り越えフロントガラスを洗っていました。エンジンが止まるのが先か、冠水を乗り越えるのが先か? 祈る思いで車に乗っていました。
そして奇跡的に車は冠水の一番深い部分を乗り越え(路肩には放棄された車の天井部分だけが見えていました)向こう岸に。Sさん宅に到着したのは深夜0時半を回った頃でした。

とても疲れた一日でしたが、お風呂に入れてお布団で眠ることができてよかったです。


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