桜桃日記 ami
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2005年06月23日(木) 「よろしかったでしょうか」は、よろしいでしょうか。


私が今勤めている受注センターは、この4月に他地方からセンターごと移転してきたばかりの、立ち上げほやほやの事務所です。
そんな立ち上げに90人のオペレータが一気に掻き集められたので、最高齢者と若年者の年齢差は親子程もあります。それはまさにジェネレーションギャップの世界。
研修でくどいほど「お客様にご注文商品を確認する時には『よろしかったでしょうか』と過去形で言わないように。『よろしゅうございますか』もしくは『よろしいでしょうか』と確認するように」と周知を受けました。
それなのにオペレーションルーム内では「よろしかったでしょうか。」ということばがあちこちから聞こえていました。しかしながら私はマネージャーでもSVでも無いので心の中で「うざい」と思っているだけでした。
それが2〜3日前の朝礼で「何人かのお客様から『よろしかったでしょうか』は日本語としておかしいとご指摘を頂きました。研修でも言いましたが、くれぐれもつかわないように」とマネージャーから周知がありました。
途端、若年グループが早速小声で話していました。
「『よろしかったでしょうか』って、全然おかしいと思わないよね。それより『よろしいでしょうか』は乱暴に聞こえるし、第一、そんなこと一度も研修で聞いてないよね。」


ふむ。若いお嬢様方は、コンビニことば、ファミレスことばが日常語なので、彼女たちにとっては、そちらが正確な日本語に聞こえるようです。百歩譲って、それはジェネレーションギャップとしましょう。
でも、許せないのが、研修で講師が口が酸っぱくなる位『「よろしかったでしょうか』は間違った日本語なので、決して使わないように」と言っていたのに、平気で「研修で一度も聞いた事が無い」と言っていること。一体、彼女たちは研修の間何をしていたのか、目を開けて寝ていたのか、それとも、話は全く聞かず考え事をしてのか。きっと、学生時代についた習性、講義が始まると条件反射で聞く耳を持たなくなる習性がそのまま出てしまったのでしょう。私にはそうとしか思えない、お嬢様たちの呆れた反応でした。


20年の月日と共に、以前は辞書に無く、ワープロでも変換できなかったダイガエも月日と共に辞書にも載り、変換もできるようになっています。
「よろしかったでしょうか」と言う表現もあと20年もすると標準的な日本語として認められているのでしょうか。なんだかちょっと嫌ですね。そう感じること自体が、自分が年を取った証拠だったりして・・・。





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