夕方のことだった。 サービスカウンターのパートさんがぼくを呼んだ。 「どうしたと?」 「キャッシュカードを拾ったんだけど…」 「ふーん、じゃあ銀行に連絡したらいいやん」 「しんちゃんがして下さい」 「何でおれがせないけんとね。そのくらい自分でやって下さい。子供じゃあるまいし」 「でも、わたし慣れてないけ」 「慣れとかの問題やないやろ。ちゃんと拾った人が連絡せな」 「わたしが拾ったんじゃないもん。お客さんやもん」 という押し問答の末、結局ぼくが電話することになった。
落とし物はケースに入っており、その中にはキャッシュカードが2枚入っていた。 1枚は信用金庫のカードで、もう1枚は郵便局のカードだった。 ここでぼくは、どちらに電話しようかと悩んだ。 そこでパートさんに、「どちらに電話しようか?」と聞いた。 するとパートさんは、「郵便局はやめた方がいいよ」と言った。 「何で?」 「郵便局は忙しいけ、来てくれんっちゃ」 「でも、前は来てくれたよ」 「前はどうか知らんけど、今は来てくれんよ。人が足りんのやけ」 そういえば、そのパートさんのご主人は郵便局に勤めているので、郵便局の内情をよく知っている。 それならということで、信用金庫の方に電話することにした。
「北九州の○店です。実はおたくのキャッシュカードを拾ったんですが…」 「ああ、そうですか。お宅様には、うちのキャッシュサービスがあるんですかねえ?」 「ああ、拾得物入れでしょ。あいにくこちらには、F銀のしかないんですよ」 「そうですか。それでは、こちらからお客様に連絡して、そちらに取りに行ってもらいます」 「お願いします」
それから30分ほど経って、先ほどの信金の人から電話が入った。 「お客様、いないんですよねえ」 「そうですか」 「それでですねえ、お手数ですが、そちらから交番に持って行ってもらえませんか?」 「えっ、交番にですか?」 「はい」 「‥‥」
交番に行け、これまた面倒臭い申し出である。 交番に行くと手続きに時間がかかるから嫌なのだ。 そういうことなら、郵便局の方に電話すればよかった。 忙しくても、カードを引き取りには来てくれるだろう。
そこで、そのことを信金の人に言おうとした時だった。 先方が、「そこから一番近い交番はどこですか?」と聞いてきた。 「××交番ですけど」 「××交番ですね。わかりました。お客さんと連絡が取れたら、その交番に行ってもらうようにしますから」 「‥‥。そうですか。はい、わかりました」 ぼくは渋々受話器を置いた。 これで、郵便局に電話できなくなった。
ぼくはサービスカウンターに行き、カードを拾ったパートさんに、「交番に届けることになった」と言った。 「そう、やっぱりね」 「あんたが行ってきてね」 「えっ?」 「おれはちゃんと銀行に連絡したんやけ、今度はあんたの番やろ」 「何で私が行かないけんと?」 「あんたが拾ったんやろ?」 「私じゃないよう。お客さんが拾ったんよ」 「同じことやん。ちゃんと行ってきてよ」 「えー、行ってくれんと?」 「おれが行くとしたら、確実に9時近くになる。もしその間に落とし主が交番に行ったらどうするんね?」 「ああ、そうか」 「ちゃんと行ってきてよ」 「でも…」 「それが嫌なら、警察に電話して取りに来てもらい」 「あ、その手があったねえ」 「自分でかけてね」 「わかった…」 ということで、パートさんは警察に電話をかけた。
それから30分ほどして警察官がやってきた。 書類に必要事項を書き込んで、警察官は帰っていった。 『時間食ったけど、これでようやく一件落着した』 と思っていた時だった。 店内放送で「しんたさん、外線が入ってます」という連絡が入った。 出てみると、先ほどの警察官からだった。 「あのー」 「どうしたんですか?」 「先ほどのカードですけど…」 「あ、落とし主が現れたんですか?」 「いや、そういうことじゃなくて…」 「どういうことですか?」 「交番に帰ってからカードを挟んでおいたノートを開いてみると、カードが入ってないんですよ」 「えっ? 落としたんですか」 「いや、落としたんじゃなくて…。忘れたんじゃないかと思いまして」 「ちょっと待ってください」
そう言って、ぼくは先ほど書類を書いたところに行ってみた。 しかし、カードはそこになかった。 『もしかして下に落ちてないか』と思い、その辺を探してみた。 すると出入口のドアのところに先ほどのカードの入ったケースが落ちているではないか。
「ああ、ありましたよ」 「やっぱり忘れてましたか?」 「いや」 「えっ?」 「落ちてました」 「どこにですか?」 「入口のところです」 「…そうですか。すぐに取りに行きます」
5分もかからないうちに警察官はやってきた。 これで、ようやく一件落着となった。 それにしても、持ち主に落とされ、警察官に落とされ、本当にかわいそうなカードである。
|