| 2005年08月22日(月) |
歌のおにいさん(1) |
中学のある時期まで、ぼくは歌にまったく興味がなかった。 それに加えて、人前で歌うのが大嫌いだったのだ。 仮に歌うことがあっても、うまく歌おうとか、感情を込めて歌おうとかいう意識はまったくなく、ただいいかげんに声を出しているだけだった。 例えば、音楽の歌唱テストの時がそうだったし、遠足でマイクが回ってきた時もそうだった。 ちなみに、中学2年の遠足の時に歌った歌は、『ヤン坊マー坊天気予報』だった。 もちろん、いいかげんにである。
その遠足の時だった。 Hという男がいたのだが、その男、えらく歌が上手いのだ。 それを聞いた担任の先生は、翌日のホームルームで「いやあ、昨日のHの歌にはしびれたねえ」と言って、Hを褒めちぎった。 先生は、前の学校でオーケストラの顧問をやっていた関係で、音楽には造詣が深く、周りの先生たちからも一目置かれていた。 そういう先生に褒められたということで、いやが上にもHの注目度は上がった。 さらに、「他にも上手いのがいたなあ」と言って、何人かの名前を挙げた。 ということで、その何人かも注目度が上がることになった。
「ふーん、歌が上手いと注目度が上がるんか」と、ぼくはその時思った。 が、歌に関心がなかったせいもあり、その時はそれで終わった。
その翌年の5月に修学旅行に行った。 同じクラスには、後にぼくのオリジナル曲『初恋』に出てくる『君』がいた。 ということは、当然そこで目立たなくてはならない。 「何をやって目立とうか?」 ぼくはそれを考えた。 いろいろな案を考えたが、2年の遠足の時の例もあることだし、やはり目立つことといえば歌である。
しかし、それまでぼくは、歌に興味がなかったため、いいかげんにしか歌ったことがない。 さらに、「上手い」なんて褒められたことは一度もない。 それで彼女の気を引こうというのは無理な話だが、その時はけっこう楽天的だった。 真面目に歌えば何とかなる、と思っていたのだ。
ところが、一つだけ気になることがあった。 それは、同じクラスにはあのHもいたということだ。 Hが歌が上手いことは、すでに学校中で評判になっていた。 何せ、2年時の担任が褒め称えたのだから。 そのため、誰もがHの歌を聴きたがっていたのだ。
修学旅行時、バスの中でHは前の方の席に座っていた。 一方ぼくは、最後列に座っていた。 いよいよ歌の時間になり、「前と後ろ、どちらから先に歌うか」ということになった。 一度はじゃんけんで決めようということになったのだが、旅行委員が勝手に「歌は前から順番に歌う」と決めてしまった。 ということで、Hが先に歌うことになった。
Hは尾崎紀世彦の『さよならをもう一度』という歌を歌った。 歌唱力のいる歌なのだが、Hはこともなげに、その難しい歌を歌いこなした。 彼が歌っている間、バスの中はシーンとしていた。 全員が聞き惚れているのだ。 もちろん、その中には『初恋』の君もいた。
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