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2005年07月23日(土) ご体裁日記

7月に入ってから、『その日の着地点』というのを気にするようになった。
どういうことかというと、その日の着地点である就寝時に、寝つきがいいか悪いかということが気になるようになったということである。
寝つきがいい時というのは、寝るまでにその日のことを、すべて片付けているものだ。
その日のことというのは、例えば仕事だとか日記だとかである。
逆に、寝つきが悪い時というのは、その日のことが手付かずになっていることが多い。
つまり、仕事も順調でなく、日記もまったく書いてないということだ。

なぜそうなるのかというと、寝るまでに仕事や日記を終わらせていたら、ある種の達成感とか満足感を抱いて寝ることになる。
それゆえに寝つきがよくなるのだ。
その日に出来なかった場合は、その屈辱感と、翌朝書かなければならないという焦燥感を抱いて布団に入ることになる。
それゆえに寝つきが悪くなるのだ。
そこで、「今日はどういう状態で寝るんだろうか」と考えるようになったわけだ。

こういう場合、朝からずっといい着地点をイメージしていたら、その通りになることが多いものだ。
例えば、翌朝6時に目を覚まさないといけない場合、寝る前に6時に目を覚ますことをイメージしたり、単純に時計が6時を指していることをイメージしたりすれば、その時間に起きれることが多いが、それと同じである。

そうやって毎日『いい着地点』のイメージをやってさえいれば、仕事も順調、日記も順調である。
もう何も悩むことはないのだ。
ところが、である。
今月に入って、日記を書き上げてから寝た回数は、4,5回ほどしかなかった。
それ以外は、翌朝になったり、休みの日は翌昼になったり、ひどい日には翌夜になったりしているのだ。
せっかく『いい着地点』の法則を見つけたのに、何でこうなったかというと、それはぼくの性格のせいである。
朝からずっと同じイメージを持ち続けるなんて、ぼくにはとうてい出来ない。

例えば、仕事上でうまくいかないことがあると、もうだめである。
例えば、トイレに行くタイミングを逸すれば、もうだめである。
例えば、昼食の時間が遅れたりすると、もうだめである。
例えば、日記のことを考えた時点で日記のテーマが浮かばなければ、もうだめである。
いや、決して潔癖主義なのではない。
そうなった時に、長年培った心の癖で、そういう嫌なことを忘れようとして、次の休みは何をしようかとか、前日見たドラマの今後の展開を考えるとか、それまでとはまったく違った思考を取るようになるのだ。

そうなると、『いい着地点』のイメージを持ち続けるのも馬鹿らしく思えてくる。
そのために、後で泣くことになる。
ああじゃない、こうじゃないと考えたあげく、結局つじつま合わせの、字数を揃えただけのご体裁日記になり果てるわけである。
今日もそんな日記である。


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