2004年03月25日(木) |
ぼくはマルチな人間ではない |
先日、ある人から「久しぶりに詩を書いてみたら?」と言われた。 「詩を?」 「うん。最近書いてないでしょ?」 「ああ」 そういえば、最近、ちゃんとした詩を書いてない。 しかし、詩はそうそう簡単に書けるものではない。 第一、頭の中が、長い日記生活のために、すでに散文化してしまっている。 こうなると、韻文化することはかなり難しくなってくる。
よく「しんたさんはマルチな方ですね」と言われる。 ぼくは決してマルチな人間ではない。 確かにこのサイトでは、エッセイ、詩、果ては自作曲までも紹介している。 だから、マルチな人間だと思うのかもしれない。 しかし、これらは同時進行でやっていたわけではないのだ。
10代後半から20代前半にかけては主に歌、30代は主に詩、40代はエッセイだけというふうに、やっていた時代が違うのだ。 10代から30代にかけて、エッセイなんてまったく書けなかった。 その元になる日記すら、満足に付けたことがなかった。 30代、詩に情熱を燃やしていた頃は、歌は歌っていたものの、すでに作詞や作曲はやらなくなっていた。 また、40代になってからというもの、詩も作らなくなり、さらにホームページを始めてエッセイに没頭しだしてからは、歌も歌わなくなった。 頭の中の構造が、エッセイになってしまったために、他のことが出来ないのだ。 ギターを再開したのは、ついこの間のことだが、これもエッセイのを書くためのネタ欲しさから始めたのである。
以上見てきたとおりで、基本的にぼくはマルチな人間ではないのだ。 どちらかというと、一つのことに没頭するタイプの人間ということになる。 その時代時代で、没頭する興味が変わっていっただけの話である。
今、ぼくは観察に必死なのだ。 そう、日記ネタを探すためにである。 そういう現実を重視している人間に、深い感性を必要とする詩など書けるはずがない。 昔は比較的楽にやっていた作詞でさえ、満足に出来ないのだ。 もし、ぼくが詩を書くとしたら、次の時代に、ということになる。 ということは、50代か。 50代になれば、この「頑張る40代!」も終わっているから、日記に目の色を変えることもなくなっているだろう。 冒頭の方には、それまで待ってもらうことにしよう。 まあ、その時に、詩に興味を持っていればの話だが。
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