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2003年07月22日(火) 通勤風景に見る歴史 後編

黒崎を過ぎ、数分走ったところ右手に、帆柱連山がそびえている。
この帆柱というのも神功皇后ゆかりの地で、新羅征伐の際、この連山の杉を朝鮮半島に渡る船の帆柱に使ったという言い伝えがある。

その連山の一つに、花尾山というのがある。
ここは昔、山城があったところで、今も尚、その当時の井戸の跡や、階段が残っている。
高校時代、ぼくはよくこの山に登っていた。
階段がくせもので、細かい石がたくさん敷き詰めてある。
そのため、靴を履いて上っても足の裏が痛い。
昔は草鞋くらいしか履き物がなかったはず。
よくこの痛さを我慢出来たものだと思う。
よく友人と「その頃の人は、階段を上り下りするたびに、『痛いでござる』とか言いよったんかねえ」と、冗談を言ったものだった。

さらに進んで、左手に新日鐵八幡製鉄所がある。
日本史の教科書に、官営八幡製鉄所の溶鉱炉を建設中に撮った写真(下記参照)が掲載されているが、あの溶鉱炉、実はまだあるんです。
真っ白に化粧をされて、『1901』という看板がついている。
つまり、1901年創業というわけだ。
写真を見ればわかるが、その当時の写真には、溶鉱炉の他は何も写ってない。
まことに殺風景である。
まあ、九州の一寒村に、インフラ整備もないまま一大製鉄所が出来たのだから、それもしかたないことではあるが。
で、今はどうなっているかといえば、その上を都市高速が走り、その後ろをJRが走っている。
その差が百年の歴史である。

さて、その溶鉱炉の隣には、北九州市最大のテーマパーク、スペースワールドがある。
スペースキャンプが体験出来るというのが売りだったこのテーマパークも、今ではそのへんのテーマパークと同じくアトラクションでしかお客を呼べない状況になっている。
あいかわらずお客さんは多く入っているようだが、もしも予定通り県内にパラマウント映画のテーマパークが出来たら、終えてしまうだろう。
ぼくは会社帰り、いつもそこにあるアトラクションの一つである大観覧車を眺めている。
しかし、それを眺めてこころを癒やしているのではない。
この観覧車は、夜になると色とりどりのネオンがつくのだが、そのネオンがたまに所々切れていることがあるのだ。
それが気になって、つい眺めてしまう。
「あのネオンを付け替えるのは大変やろう」「脚立で上るんやろか」「落ちたら死ぬわい」などと思いながら、見入っている。

スペースワールドから先はバイパスを通っていく。
このバイパスは、ぼくが小学生の頃に開通した。
その頃の社会科の副読本『よい子の社会』には、そのことが誇らしげに書いてあった。
バイパスとはいうものの、曲がりくねって走りにくい道である。
しかし慣れとは恐ろしいもので、みんなここを時速80キロ以上出して走っている。
また、大型トラックなどが頻繁に走るため、水はけが悪くなっている。
雨の日は、決まって対向車線から跳ね飛んできて、一瞬何も見えなくなってしまうが、これが怖い。
その上、毎年交通量が増えているにもかかわらず、出来た当時からずっと片道二車線である。
土地がないといえばそれまでだが、主要幹線なのだから、何らかの手を打って欲しいものである。

さて、ぼくの家から会社までの所要時間はおよそ20分である。
今まで見てきたように、その20分の間に、千年以上の旅をしていることになる。
何気なく走っている道ではあるが、その歴史は実に重い。

ちなみに、ぼくの住んでいる場所であるが、源平の合戦の時、源氏側が平家を迎え撃つために立てた城があったという。
実際、壇ノ浦で敗れた平家が、ここまで落ち延びたどうかは知らない。



(官営八幡製鉄所)


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