| 2003年01月21日(火) |
古いノートにハマっています。 |
【本を読んでいて、君のことを思い出した。 一昨年の大晦日、いや、昨年の元日に君と別れてから、もう2年が経とうとしている。 ぼくは今もなお、大ボラを吹いて生きている。 日に日に冷たくなる東京の風を身に受けるのが嫌で、一刻も早く福岡に帰りたいと思っている。】
今日も古いノートを引っ張り出して読んでいる。 汚い字で読みづらいのだが、読んでみるとけっこうこれが面白い。
【高校を卒業してからの、あの2年間の空白は何だったのか?、 それは『生きる』ということだった。 そのことがわかって、ぼくは急に東京に出たくなった。 生きているという実感を、親元を離れて味わいたかったのだ。 ・・・・・。 出発の日、ぼくは7時に起き出して、朝飯もそこそこに、逃げるようにして家を飛び出した。 まったく、その日の寒かったこと。 冷たい風に追われるような気がして、ぼくは足早に駅に向かった。 汽車に乗った時、ホッとしたのと同時に、なぜか敗者の感がぬぐえないでいた。 考えてみたら、福岡がだめだったから東京に、という感じがする。】
なるほど、東京に出た時はそんな気持ちになっていたのか。 希望を持って上京したと記憶していたが、実際はこうだったのだ。
その当時の生活や、忘れていた出来事などの発見もある。 東京にいた頃、2週間を2千円で過ごしたことがある。 バイトはしていたものの、収入よりも支出のほうが多く、経済が破綻したのである。 その時の状況も書いている。
【・・・、気がつくと手元には2千円しか残ってないのだ。 そのため、ぼくは苦手な計画を立てた。 風呂は週に一度だけ、タバコはもらいタバコ、2日に一度は昼飯抜き。 本当に空腹というものは辛いものだった。
その頃、同じ境遇の者が集まって、『昼飯抜きもらいタバコ同盟』みたいなものができていた。 一日の割当金を寄せ合って、60円のコーヒーを飲み、人にパンを恵んでもらっていた。 しかし、他の連中は、ぼくより幾分恵まれていた。 なぜなら、彼らは朝飯を食うことが出来たからだ。】
本当に情けない日々を送っていたものである。 この時は何とか乗り切っているが、その後もこういう状態に陥ることがたびたびあった。
【・・・、結局ぼくにとっての東京とは、敗者の行き着いた所に過ぎない。 夢もない。 希望もない。 人間もいない。 ただ、街があるだけ。 時々、新宿に行くと寂しくなることがある。 空は晴れていても、友だちがいても、本当に泣き出したくなることがある。 同じ世代の若者と、ビルとビルの狭間ですれ違う。 その顔には、ぼくと同じくらいの歴史がある 彼らも、彼らなりに、彼らの人生において寂しいのだ。 ディスコやゲームセンターで大はしゃぎしても、彼らの心の中には冷たいすきま風が吹いているのだと思う。 泣きたいのだ。 何かわけのわからない矛盾したものに、涙したいのだ。 それは、酒を飲んでも充たされるものではない。 踊り狂っても、女を抱いても、決して充たされるない。
最近、旅に出たいと思っている。 それで、その何かが充たされるとは思ってはない。 しかし、そこには何かがあるような気がする。 その寂しさは紛れないにしろ、また違った寂しさを味わうのも悪くはないだろう。
このまま、すんなり就職なんかしたくない。 今を充たされぬまま、先を求めるようなまねは、絶対にしたくない。】
アホか!。 きっと一人で、何もすることがなかったから、こんなことばかり考えていたのだろう。 とは言え、ぼくはこの言葉通り、福岡に帰ってきても、すぐには就職はしなかった。 しかし、それは充たされないものを探していたわけではなく、就職がなかったからであるが。
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