中学か高校の時だったが、ラジオの深夜放送を聴いていると、突然変な放送が入ってきた。 それが何語かはわからないが、何かを話しているものではなく、ある単語を区切って読んでいるだけのものというのはわかった。 その頃は、その放送を語学教室か何かと思っていた。 しかし、抑揚のない、無表情な女性の声だったので、妙に不気味に感じたのを覚えている。 それが何だったのかわからないまま、30年の時が過ぎた。
ところが今日、何気なく見ていたテレビで、あれが何だったのかがわかったのだ。 それは、北朝鮮関連の番組だった。 その中で、暗号放送の話があった。 その番組を見た人は知っていると思うが、暗号放送とは、北朝鮮の特異なラジオ放送のことで、朝鮮語の数字を読み上げる放送である。 実際にその放送を流していたが、それこそが、ぼくが30年前に聞いた放送だった。 それは、工作員への指令だと言う。 この指令の下、工作員は日本人を拉致していたらしい。 ということは、ぼくがその放送を聞いた数日後に、拉致が行われたということになる。
その番組を見ながら「ふーん、あれは朝鮮語の数字だったのか」と思っていた時、ふと数字のことで思い出したことがあった。 前の会社にいた時のことである。 ある取引先の営業マンが辞めた。 その営業マンは、いつも上司から「数字、数字」と言って詰められていたらしい。 朝礼ではいつも「数字を作れ」と言われ、成績が悪いと「その理由を数字で答えろ」と言われ、何か企画を立てると「数字で説明しろ」と言われる。 それが毎日なので、そのうちその人は数字ノイローゼになってしまった。 それからしばらくして辞めたのだが、退職届には「退職します」といったことは一行も書かれておらず、ただ意味のない数字が羅列してあったという。
その話を聞いて、ぼくは深くうなずくところがあった。 当時、ぼくも同じように数字に悩まされていたからである。 企業というものは、数字に関しては、決して「昨年並みでいいよ」とは言わない。 それが無理なことだとわかっていても、決まって昨年より上の数字を求めるものである。 そのために営業は苦労する。 無駄な会議が多くなる。 帰宅時間が遅くなる。 休日出勤が多くなる。 当然体調が悪くなる。 情緒不安定になる。 仕事が嫌になる。 それでも、企業は数字を追求する。
それが元で、いろいろな障害が起きるようになる。 1,退職する ぼくの場合がそうだった。 2,病気になる 前の会社にいた時は、入院する人が多かった。 中には死に至った人もいる。 さすがにその時は会社側も非を認めて殉職扱いにしたが、相変わらず同じことをやっていると聞く。 3,家庭が崩壊する 家にいないことが多いため、奥さんが切れて、離婚に至るケースである。 社内結婚で、奥さんが仕事の内容を知っている場合は理解もするだろうが、仮に奥さんが定時に帰るような仕事に就いていた場合に、こういうことが起こる。 二三、こういうケースの人がいた。 4,不正に走る 数字ほしさに、架空の売り上げをたてるようになる。 逆に架空の売り上げ扱いにして、売上金に手を付ける者もいた。 5,借金を重ねる 販売業に就いていると、どうしても自分で買わざるを得なくなることがある。 本当にその商品が欲しいのなら問題はないが、そのほとんどが必要のない商品である。 それをうまく転売出来る人はいいが、そういうことが苦手な人は借金地獄に陥ることがままある。 まあ、以上のようなことであるが、これらすべて数字の害である。
数字を追求することが悪いとは言わない。 数字があってこそ、企業は発展するのだから。 では、なぜこんな障害が出てくるのだろうか。 それは、数字に振り回されているからだ。 数字というのは酒と同じである。 ほどよく付き合っていくのが最良で、溺れてはいけない。 溺れると、数字しか見えないようになる。 上司に数字に溺れた人がいると、下の者は地獄である。 いつも数字にビクついていなくてはならない。 その結果、今日できないことを、無理矢理繕おうするようになる。 だから、こういう障害に至るのだ。 数字を生かすということは、人間を殺すことである。 そのことを心に銘記して下さいよ。ね!
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