朝起きてテレビをつけると、東京の風景が映っていた。 雪だ。 そういえば、昨日のニュースで、今日は寒波に覆われると言っていた。 もしかしたらと思い、外を見てみたが、幸いこちらの方は雪は降っておらず、晴れ間が見えていた。 しかし、外に出てみると、さすがに寒かった。 最近ぼくは、寒さを感じなくなったんじゃないかと思うほど、寒さに対して無頓着になっていたのだが、今日ばかりは「寒い」というのを実感させられた。
ところで、昼間のワイドショーの中で、「先ほど、ネパールの方がスタジオを見学していたんですが、『どうして東京の人は、これっぽちの雪で大騒ぎするんですか』と言ってましたよ」と言って笑っていた。 別に、ネパールの人に限ったことではなく、北海道や東北の人も、そう思っているに違いない。
関東地区の積雪は多いところで10センチ程度だったらしいが、そのせいで交通機関もマヒしていたという。 たしかに北国の人は、そのくらいの積雪でパニックに陥っている姿を見るとおかしく思うだろう。 しかし、もっとおかしな地域もある。 積雪ではなく、雪がちらついた程度で渋滞が起きる地域があるのだ。 他でもない、北九州だ。 北九州の都市高速は山沿いにあるため、平野部で雪がちらつくと、「凍結の恐れあり」で早々と通行禁止にしてしまう。 そのために、一般道は大パニックになる。
昭和55年の12月末のこと。 当時ぼくは、東芝の派遣社員として長崎屋に入っていた。 その日、東芝の仕事納めということで、午前中、小倉にある東芝の営業所に行ったのだが、帰りに雪が降り出した。 『ああ、降り出したか。嫌やなあ』と思っていると、所長が「しんた君、黒崎まで国鉄で帰るんかね」と言ってきた。 「はい」 「じゃあ、送ってやるよ。ぼくも今から黒崎に行かんとならんから」 ということで、ぼくは所長の車で長崎屋まで送ってもらうことになった。 ところが、普段は車だと30分もかからずに黒崎まで着くのだが、その日に限って車がなかなか進まない。 「流れが悪いなあ」「事故かなあ」などと言っているところに、ラジオの交通情報が流れてきた。 『・・・この雪のせいで、北九州道路は現在利用できなくなっています。一般道にお回りください』 「え!? このくらいの雪で高速がストップか」と所長がブツブツ言っていた。
渋滞はひどいものだった。 車に乗ってからもう1時間以上たっているのだが、まだ営業所から10キロも離れてない場所にいた。 「困ったねえ。黒崎が終わってから小倉を回ろうと思っていたのに。しんた君も忙しいんやろ?」 「はい」 「じゃあ、ここで別れよう」 「え?」 「もう、黒崎には行かんことにした。しんた君は電車で帰り。そっちのほうが早いよ」 「ここからですか?」 電車と言っても、国鉄ではなく、当時まだ走っていた西鉄の路面電車である。 いくら早く着くと行っても、同じ道路の上を走っていくのだから、それほど大差はない。 そのことを所長に言ったが、所長は「でも、もう行かんと決めたけねえ」と言う。 結局ぼくはそこで放り出され、雪のちらつく中、渋滞で遅れている電車を、吹きさらしの電停でずっと待っていた。
この時期になると、いつもあの時のことを思い出す。 あれから20年以上経つが、相変わらず雪への対策が出来ていないのが現状である。 たしかに年に何度もないことではあるが、その時に限って大切な用事があったりする。 この冬はそういうことが何度あるのだろう。 それを考えると、また気分が重くなる。
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