| 2002年10月28日(月) |
ショッピング・カートの痛み |
よくスーパーマーケットに行くと、ショッピング・カートが置いてある。 もちろん、うちの店にも置いてあるのだが、今日そのショッピング・カートを見て、ふと思ったことがある。 うちの店には、大・中・小と三つの種類のカートがある。 そのうち、大と中は子供を座らせることのできるタイプだ。 カゴの後部、ハンドルの下あたりに折りたたみの簡易イスがついている。 子供を乗せる場合は、その折たたみの部分を倒し、子供を後ろ向きに座らせる。 簡易イスには、うしろに倒れないように背もたれがついている。 また、ショッピング・カートから落ちないように、子供の股の部分に5cm幅のガードがついている。 子供はそのガードを股に挟んで、ショッピング・カートを押す人の前で足をぶらぶらしている格好だ。
さて、ぼくが気になったのは、子供の股の部分の5cm幅のガードだ。 女の子の場合は問題ない。 しかし、男の子の場合は問題だ。 もし、このカートが電線などを踏んだ場合のことを考えて欲しい。 電線の段差の刺激がショッピング・カートに伝わる。 当然その刺激はガードにも伝わる。 さらにガードに伝わった刺激は、股間に伝わる。 ああ、考えただけでも痛い。 よく子供は我慢できるなあ。
ぼくは小さい時から、よく股間部分を打って、死ぬ思いをしてきた人間である。 覚えているのは、小学校5年の頃、家の前の広場で野球をしていた時だった。 ぼくはその時ピッチャーをやっていたのだが、何回の守備の時だったか、相手チームのバッターが、ピッチャー返しをやってくれた。 投げた次の瞬間、その球は勢いよくぼくの玉に当たった。 内野安打である。 ぼくはタイムをとり、しばらくの間声も出ず、必死に痛みをこらえていた。 こういう時、なぜか「大丈夫か?」などと声をかける奴はいない。 決まってみんな笑うのだ。 当たったほうは死ぬ思いをしているのに、よく笑えるものだ。
プロ野球でも、キャッチャーの股間に球が当たり、苦しむ場面を目にすることがある。 トレーナーが駆けつけ手当てをしているのだが、その間ベンチは心配しているのかといえば、そうではなく、監督以下ニヤニヤと笑っている。 「あらー、球が当たった。あれ痛いんだよなあ」 などと言って、思い出話でもしているのかもしれない。
柔道に『内股』という技がある。 相手の内股を足ですくう技である。 しかし、ヘタクソな人はこの技を、股間を蹴上げる技だと思っている。 当然股間直撃である。 ぼくの相手はヘタクソしかいなかったのか、よくこの技で泣かされた。 中には、かかとで蹴上げる奴もいた。 これはたまらなかった。 内出血してしまい、1週間ほど患部は青黒くなっていた。 下着が擦っただけでも痛く、この痛みが引くまで、しばらく変な歩き方をしたものだった。
一度柔道の団体戦の時に、蹴上げられたことがある。 この時も痛かった。 審判が苦しんでいるぼくのところに寄って来た。 「大丈夫か」と聞いてくるのかと思いきや、なんと彼のはいた言葉は、「はい、飛んで」だった。 もちろん、股間を打った時は、飛ぶことがいいのはわかっている。 しかし、声も出ず、体を動かすことさえ苦痛な状況で、すぐさま飛べるものではない。 ぼくは手を上げ、「待ってくれ」というゼスチャーをし、痛みが回復するまで必死にこらえていた。 もちろん、ぼくのチームのメンバーは、笑っていた。
さて、ショッピング・カートに話を戻すが、だいたいショッピング・カートにイスをつけること自体が間違っている。 子供がいると、いろいろとわずらわしいという理由から、そういう便利なものを開発し、利用者も重宝がるのだろう。 しかし、これでは、痛みに耐える人間は育成できても、自分を守れる人間は育たない。 鍛えて鍛えられる場所ではないので、とにかくとっさによけるという反射神経を養うことが必要になる。 そのためには、子供を歩かせることが一番だ。 歩くことで、人は自ずと自分を守る術を身につける。 歩かせると子供が疲れるし私も疲れる、座らせると子供も楽だし私も楽だ、そういうことが結果的には虐待に繋がるということを知っておくべきである。
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