2002年07月25日(木) |
アルバイト遍歴 その5 |
東京に戻ったぼくは、また友人とアルバイト探しをした。 もう運送会社はまっぴらだったので、今度はほかの業種を選ぶことにした。 アルバイトニュースを買い、総武線沿いを重点的に探した。 ほどなくいいところが見つかった。 四谷にあるスーパーマーケットだった。 文化放送の前を通り、お岩神社横の細い道を抜けたところに、そのスーパーはあった。 とりあえず面接を受けた。 面接官は小太りの、めがねをかけた親父だった。 ぼくはどうもこの男と折りがあわない。 変に剣のある口調でぼくに突っ込んできた。 「君はもっとほかのバイトを探したほうがいいんじゃない」とか、「その髪はどうにかならんかね」とか言ってきた。 ぼくは笑ってかわしていたが、相手の攻撃は執拗だった。 どうもこの男は、ぼくの身なりが気に入らなかったようだ。 そして彼が、「悪いけど今回は・・・」と言おうとした時、その店の店長が入ってきた。 店長は「せっかく来てもらったんだから、働いてもらおうよ」と言った。 めがね氏が「しかし・・・」と言うと、店長はその言葉をさえぎるように、「じゃあ、明日から来て」と言った。 めがね氏は少しムッとした表情をした。
このスーパーは、新宿では有名なスーパーだった。 来店客も土地柄か、品のいい人が多かった。 前にも話したが、仁科明子(現 亜季子)の母親や、中原理恵など有名人がよく買い物に来ていた。 しかし、ぼくは商品管理のほうの担当だったため、なかなかそういう人たちには会えなかった。 逆に、いっしょにバイトをしている友人は店内の担当だったので、しょっちゅう有名人に遭遇していた。 帰る時にいつも、「今日は誰々に会ったぜ」と言っていた。
このバイトを始めて、ひとつだけ閉口したことがあった。 それは、ネクタイをしなければならないことだった。 ぼくは今でもネクタイをするのが嫌いである。 これをすると、頭に血が流れないような気がするのだ。 「頭に血が流れない」→「脳が活発に働かない」→「馬鹿になる」、という図式がぼくの中に存在する。 それまでにネクタイをしたことがあるのは、成人式ただ一回だけだった。 その時は3時間程度ネクタイをしていただけだが、それでもかなり疲れたのを覚えている。 それが、このバイトを始めてからは毎日である。 仕事以前にネクタイに疲れていた。
仕事自体はそんなにきついものではなかった。 Hさんという担当の方がいて、ぼくはその人の横に付き添っているだけだった。 「これが品薄だなあ。これをチェックしといて」 と言われると、ぼくは用意した在庫表にチェックしていく。 ただそれだけの仕事だった。 たまには店のレイアウトもやった。 新発売の商品やチラシ掲載商品を、目立った場所に置いていくのだ。 その仕事も商品自体が軽いのと、限られたスペースにしか置けないこともあって、10分もすると完了してしまう。 店内でお客を相手にしている友人と比べると、かなり楽なものだった。
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