先日、酔っ払いおいちゃんが新聞で紹介されていた話を書いたが、あの記事のことが酔っ払いおいちゃんの耳に入ったらしく、おいちゃんはそれに気をよくし、有名人を気取るようになったということだ。 「私のことが新聞に書かれてましてねえ」などと言っているらしいのだ。 どうも『山芋掘りの名人』と書かれていたのが、いたく気に入っているようだ。
今日もおいちゃんを見かけたが、どういうわけか普段着ている作業着姿ではなく、カジュアルっぽい服を着ていた。 おいちゃんが店に来るようになって2年、初めて見る格好であった。
おいちゃんは、あの記事が『山芋掘りの名人』を褒め称える記事だとでも思っているのだろうか? 確かに『根気が必要な山芋掘りの名人』と、おいちゃんを立てている部分はある。 しかし、あの記事の主役は戸畑署の署員であって、おいちゃんではない。 先日ここにイタチのことを書いたが、おいちゃんの記事はその話によく似ている。 夜な夜な店に侵入しては、センサーに触れ、糞尿を撒き散らし、警備会社や我々店の人間はそのために右往左往している。 この場合の主役は、あくまでも迷惑をこうむっている我々のほうであり、決してイタチではない。 新聞記事の中のおいちゃんは、店内を荒らすイタチのような立場で書かれているに過ぎない。 決して、「『山芋掘りの名人』警察に現れ大活躍!」というものではなかった。 そのことを教えてやらないと、おいちゃんはまた調子に乗るだろう。
考えてみると、昨年もそうだったが、この日記は夏になると生き物や酔っ払いおいちゃんの話題がよく出てくる。 というより、この時期はぼくの関心がそちらのほうに向いているせいだろう。 おいちゃんのことは別として、テレビなどで生き物の特集をやっていると、つい見入ってしまう。 先日、『鉄腕!DASH!!』で八木橋の子供たちの映像や、アイガモが卵からかえるシーンが流れていたが、ぼくはなぜかそれを真剣に見ていた。 そういう動物たちに、何かすごく憧れのようなものを感じるのだ。 彼らは誰に教わったわけでもないのに、ひとりで出産したり、卵を温めたりしている。 元々生き物には、そういうことがインプットされているのだと思う。
それを考えると、人間はなんと情けない生き物なんだろう。 何事も、他人から教えてもらわないとやっていけない。 他人の力を借りないとやっていけない。 機械の力を借りないとやっていけない。 そういうことは、すべて「人間は偉い!」と思ったときから始まったのだと思う。 しかし、「人間は偉い!」と思うことは間違いである。 いや、勘違いである。 他の動物がひとりで出来ることを、人間は一人では出来ないのだから。 もしかしたら、いつかこういう甘えたシステムを変えなければならない時期が来るのかもしれない。
|