寝不足後遺症というか、何というか、どうも頭の中に膜が張っているようで、なんとなくすっきりしない。 まあ、そういう状態は高校時代から続いているので、別に珍しいことではないが。 しかし、ここ数日、頭に関することには、変に神経質になっている。 言うまでもなく、伊藤俊人さんのことがあってからのことだ。 その死因である『クモ膜下出血』が、対岸の火事ではない年頃だから、とくにそう感じるのかもしれない。
クモ膜下出血、3年ほど前にうちの会社の男性がこの病気で亡くなっている。 ぼくより、10歳ほど年上の方だった。 以前ぼくがいた部署は、彼の部署の隣だったのだが、彼には大変お世話になった。 よく、倉庫整理を手伝ってくれたり、フォークリフトの動かし方を教えてくれたりした。 亡くなったのは、ぼくが今の職場に転勤した年だった。 ある日、彼が病院に運ばれた、という情報が入った。 その日の午後、ほかの人が食事から戻ってくると、彼は「頭が痛い」と言ってしゃがみこんでいた。 程なく、救急車が到着した。 自分で救急車を呼んだという。 そして、彼は気丈にも「大丈夫」と言って、笑顔で救急車に乗り込んだ。 病院に到着する頃には、もはや彼の意識はなかったそうだ。 それから約1ヶ月、彼は意識が戻らないままあの世に行ってしまった。 彼もダイエーホークスの大ファンだったのだが、結局ホークスの優勝を見ないままだった。
それから何ヶ月かして、取引先の人が、クモ膜下出血で入院したとの連絡が入った。 彼は、まだ20代だった。 うちの担当からは外れていたものの、ぼくは彼とかなり親しくしていた。 しかし、彼の場合は病気でなったものではなかった。 前の日に、飲んでけんかをしたらしい。 それが元でのクモ膜下出血だった。 もはや、ぼくの頭の中には「クモ膜下=死」という図式が出来上がっていたのだが、その人は一ヶ月ほどで退院したということだった。 後日、会社に復帰した時に、「ご心配かけました」と彼が挨拶に来たことがある。 「今はどう?」 「いや、やはり物忘れがひどくなったようです」 と言っていた。 新たに、ぼくの頭の中に「クモ膜下=物忘れひどい」という図式がインプットされた。 図式を結びつけると、「クモ膜下=物忘れひどい=死」という図式になる。 ということで、ぼくは物忘れというものを非常に恐れるようになった。
それから、1年位経った時に、ある同業者の話を聞いた。 朝、店を開けようとシャッターを上げた瞬間に、「ブチッ」という音がした。 本人は「切れた!」と言って、店の中に入っていった。 その後、意識不明になり、その日の午後に亡くなったという。 ぼくの中に、また図式ができた。 「シャッター=クモ膜下=物忘れひどい=死」
それから、伊藤さんの死である。 以前フジ系で『こんな私に誰がした』というドラマがあったが、これが彼を見た最初である。 その後、たびたび画面でお目にかかることになる。 今でも忘れないのが、『ショムニ』で寺崎部長に食ってかかるシーンだった。 普段は寺崎部長の腰ぎんちゃくである伊藤扮する野々村課長が、ある日ショムニのミスで癌の診断を受けた。 それを真に受けた野々村が、やけになって寺崎に「お前も小さい男だなあ」と悪態をつくのだ。 あの時の、寺崎部長とのやり取りは本当に面白かった。
まだ、40歳か。 惜しい人材を亡くしたものである。 謹んで、ご冥福をお祈りします。
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