「さて、今日は何を書こうか」 これが、最近のぼくの口癖である。 そういえば、今日は朝から言っていた。 「何」、もちろん日記のことである。 言うだけで何も出てこないのだが、やはり口にする。 もはや、日記が生活の中心になっているのだろう。
ぼくの働いている店は、午後8時まで営業である。 日にもよるが、だいたい6時を過ぎると、客足が途絶え、暇になる。 その頃から、その日の日記のことを考え始める。 書くことがある時はいい。 また、そこで何かテーマが浮かんだ時もいい。 しかし、何も思い浮かばない時がほとんどである。 空しく2時間が過ぎ、閉店となる。 そこで、帰りの車の中で考える。 しかし、車の中では何も思い浮かばない。 風呂の中で考える。 ところが、出ない時もある。 風呂から上がって、パソコンの前に座って考える。 さらに、出ない時もある。 食事をしながら考える。 それでも、出ない時はある。 再びパソコンの前に座って考える。 やっぱり、出ない時がある。 テレビを見ても、新聞読んでも、本を読んでも、口笛を吹いても、座禅を組んでも、逆立ちしても、水を頭からかぶっても、爪をかじっても、出ない時は、何をやっても何も出てこない。
しかたがないので、そういう時は気分転換の意味で、サイトの更新などをやることにしている。 突然トップが変わっていたりするのは、日記に詰まっているからなのである。 しかし、最初は「時間がないから、今日はちょっとだけ」と思っていても、次第にそれに熱中するようになる。 それをやりながらも、日記のことは気にはしているのだが、興味の対象が完全にサイト更新のほうに移っているので、「まず、これをすましてからやろう」と思うようになってくる。 これでまた、1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、となっていく。 一応寝る時間を午前2時と定めているが、これをやりだすと予定時間をはるかにオーバーしてしまう。
では、「何を書こうか?」と考え始める午後6時から、日記を書き上げるまでに、いったい何時間かかるのだろうか。 最近の例でいうと、4月3日の「セクハラ」は、午後10時30分に書き終えている。 つまり、4時間半かかっているということになる。 昨日の「フルネーム・コンプレックス」は、午前1時半に書き終えた。 7時間半かかっている。 普段はこのくらいである。 4月8日の「余計な科目」は、午前11時半に書き終えている。 なんと、17時間半もかかっているのだ。
これを見ると、怒りの日記が一番早く書ける、ということになる。 次に、病気のことを書くこと。 思い出話を書くのが一番遅い。 ということは、「早く寝るためには、怒らなければならない」、ということになる。 人から「以前は、疲れたような顔をしていたけど、最近はそれがないね」と言われたら、「はい、毎日怒ってますから」と答えなければならない。 しかし、毎日毎日怒りの日記を読まされるほうは、たまったもんじゃないだろう。 「しんた、また怒ってるよ」 「こいつの人生には、楽しいとか、嬉しいとかはないんだろうか?」 「こんな人がいると、周りはたまらんだろうな」 などと、余計なことを考えさせてしまうだろう。 ところで、人は怒っている時、眠ることができるのだろうか? 今度日記に詰まった時、それをじっくり考えてみることにしよう。
それにしても、問題は今日の日記である。 さて、何を書こうか・・・。
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