昨日は一日家にいたのだが、昼を過ぎた頃だったか、「ピンポーン」とチャイムが鳴った。 誰だろう、と出てみると、そこには小太りのおっさんがいた。 「はい、どちら様でしょうか?」 「こんにちはー、読売新聞ですけど」 新聞の勧誘だった。 ぼくは、こういう時の応対は、いたって冷静である。 「ああ、読売さんですか。それは残念なことをしました」 「え?」 「うちには、巨人ファンはいませんからねえ」 「ダイエーファンでしょ。よく言われるんですよ。でも、読売新聞はダイエー情報も満載ですよ」 「西スポよりも?」 「いや、西スポさんほどじゃないけど・・・」 「残念ですねえ。うちは西スポなんですよ」 と、お引き取りいただいた。 ちなみに、うちで取っているのは、西スポではなく朝日新聞である。
新聞の勧誘は実にしつこい。 だいたい新聞というのはどこも似たり寄ったりだから、よっぽど個性的な新聞の名を持ち出さないかぎり、相手は引いてくれない。 つまり、毎日新聞の勧誘に来た時に、「うちは朝日ですから」ではだめだ、ということだ。 ぼくは毎日新聞が来たときには、「すいませんねえ、うちは日経とってますから」と言うことにしている。 だいたいこう言えば、相手は引いてくれる。 中には「一般紙も読んでみませんか?スポニチもお付けしますよ」と突っ込んでくる人もいる。 そういう場合は、「うちには2紙も取る余裕なんてありませんよ。合計3紙も取るとゴミも溜まるし、お宅がゴミを引き取ってくれますか?」と言うことにしている。
休みの日に家にいると、いろいろな人がやってくる。 「ピンポーン」 「はい、どちら様ですか?」 「私、O教会からやって参りました」 ドアを開けてみると、そこには子連れの女性が立っている。 「なんでしょう?」と聞くと、聖書を買ってくれという。 子供までが「お願いしまーす」と言う。 子供はそのためのダシである。 「申し訳ありませんけど、うちは代々浄土真宗の家系でして」 と言ってお断りする。 それでもしつこく食い下がる人には、「パーン」と手を叩き、「さて、どちらの手がなったでしょう?」と質問する。 相手は必ず、戸惑って「え?」と言う。 すかさず、「これがわかったら買いましょう」と言う。 相手は、気味悪がって帰っていく。 ぼくは合掌して送り出す。 実は、この「パーン」は、禅問答のひとつである。 答はぼくにもわからない。 勧誘撃退だから、何でもあり、である。 相手が何か答えたら、「違います」と言うだけである。
そういえば、彼女たちは以前、「ものみの塔」なる機関紙を売って歩いていた。 こちらが「いりません」と言うと、「では読んで下さい」と言って、ただで置いていった。 置いていくくらいなら、ポストに入れればすむことじゃないか。 わざわざ「ピンポーン」する必要はない。 神に仕える身の人の考えることは、よくわからない。
新聞、宗教の他にも、互助会、生命保険、物売り、共産党など、さまざまな人がやってくる。 そのつど応対も変わるのだが、一度失敗したことがある。 第一生命が来た時である。 「こんにちは、第一生命です」 「ああ、第一生命さん。ぼく入ってますよ」 「そうですか。どちらの支部から入りましたか?」 「黒崎支部です」 「そうでしたか。それはすいませんでした」 と言って帰った。 後日、その人がまたやってきた。 「こんにちは、第一生命です」 「ああ、どうしたんですか?」 「帰って調べたんですが、しんたさんの名前はありませんでしたよ」 「え、調べたんですか。しょうがないなあ」 「顧客を検索したら、すぐにわかりますよ」 そう言って、彼女は笑いながら帰っていった。 まさに、『策士、策に溺れる』 彼女のほうが、一枚上手だったわけである。
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