そろそろ新学期である。 小学生の頃、この時期の一番の関心事といえば、なんと言ってもクラス替えだった。 「また同じクラスになりたい」と思う奴もいれば、「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思う奴もいた。 ぼくたちの学校は、2年単位でクラス替えをやっていたので、その先2年間の運命が始業式に決まるのである。 幸いなことに、ぼくは「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思った奴とは、一緒のクラスになったことはない。 おかげで、小学校の6年間は楽しい学校生活を送れた。
中学時代は、クラス替えのことがあまり気にならなかった。 それは、小学時代とメンバーがほとんど変わっていないからだった。 同じ学校に6年間もいれば、一緒のクラスになったことのない奴でも、だいたい気心が知れてくるものである。 そこには、誰と一緒のクラスになっても同じことだ、という諦めもあった。 また、クラスの環境は自分たちで作っていくものだ、という意識が芽生えてきたこともあったのだと思う。 まあ、あまり面白くない中学のクラス替えだったが、楽しみがないわけではなかった。 それは転校生である。 この時期、いつも2、3人の転校生がいた。 ぼくたちの学校は、転校生をいじめるような風潮がひとかけらもなかった。 どちらかというと、みな好奇心で接していた。 もし、その転校生がよく勉強できたりすると、その好奇心は尊敬へと変わっていく。 その次の学期には、その人は必ず学級委員になっていた。 あほな風潮である。
さて、高校生になると、再びクラス替えが関心事になってくる。 クラス替えに直接関係あるのが、2年と3年の時である。 2年の新学期の頃は、1年の頃に同じクラスや同じクラブの人間以外はあまり知らないものである。 そこで、クラス替えに新しい出会いを求めるのだ。 このへんが、小学校時代のクラス替えとはちょっと違うところだった。 しかし、クラス替えに興味を示したのは、この2年の時だけであった。 3年になると、クラスの連帯感よりも、より個人的な人間関係というものを大切にするようになっていたため、ぼくにとってはクラスというもの自体が意味を成さなくなっていた。 それだけ付き合いが広くなっていたのである。
その後、この傾向はさらに強くなる。 ぼくは、会社の人間との付き合いというものには、あまり興味を持たないほうである。 ぼくにとっては、会社の外の付き合いのほうが大切なのである。 だから社内の人間よりは、社外の人間と飲んだ回数のほうがはるかに多い。 取引先と仕事を離れて飲むことが多かった。 もちろん割り勘である。 彼らはいろんな所から来ていたから、そういう地方の情報を聞くことが好きだった。 また、異業種の人と飲むことも多かった。 音楽関係の人の家に遊びに行ったり、ホストの忘年会に参加したり、NHKのアナウンサーと飲んだり、小学校の先生と語ったり、と大忙しであった。 こういうことも、元はといえば、高校の頃から始まったのである。
さて、いくつになっても、新学期は新学期である。 社会に出てからも、人は同じことをやっている。 クラス替えは人事異動という名に変わっただけである。 適材適所などという言葉にだまされてはいけない。 あれは上司の逃げの方便である。 クラス替えと同じことなのである。 昔ぼくは、クラス替えが好きな人間だった。 しかし今は、人事異動が好きになれない人間になっている。
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