おお、4時過ぎている。 寝てましたな。 パソコンの前に座る気力もなかった。 明日は休みだし、ちょっとだけ寝てから日記を書こうと、横になっていた。 2時には起きようと思っていたのだが、寝過ごしてしまったか。
寝過ごしたといえば、前の会社にいた時、電車で寝過ごしてとんでもないところに行ったことがある。 ぼくは電車に乗ると寝る癖がある。 いつもは目的駅の手前で目が覚めるのだが、その時はよほど疲れていたのだろう。 その日、最終の「南福岡行」に乗って帰った。 いつものように寝入ってしまい、いつものように黒崎駅のひとつ手前の八幡駅で目が覚めた。 「お、八幡か。もう着くな」と思っていた。 普段ならここで降りる準備をするのだが、その日はなぜかもう一度目を閉じた のだ。 これが命取りだった。 次に目を開けた時、「あかま(赤間)」という声が聞こえた。 「お、いかん。寝過ごした」と、慌てて電車を降りた。 赤間というのは黒崎から数えて6つ目の駅で、車で行けば家から2,30分の場所である。 「ここからタクシーで帰るか」と思いながら、改札口に向かって歩いていると、どうも勝手が違うのだ。 ホームの感じが違うし、階段もなんとなく新しく感じた。 「改築でもしたんかなあ」と何気なく駅名を見てみると、「ささばる(笹原)」と書いてあった。 「え、笹原?」、聞いたことのない名前である。 「たしか『赤間』と言ったよなあ。駅名を変えたのか」などと思いながら、改札口にさしかかった。 「清算せないけんなあ」とポケットを探っていると、なんとそこは無人駅だった。 「ラッキー」と思いそのまま出た。(JRの方、すいません。でも、もう時効です。悪しからず)
駅舎を見てみると、たしかに「笹原駅」と書いてある。 周囲の風景から見ると、赤間ではないようだ。 「ここはどこなんだろう?『南福岡行』なんだから、遠くても福岡市内だとは思うが」と思いながら通りに出た。 道路の向こうに線路が見えた。 「西鉄か?ということは、福岡市内か」 通りを歩いていると、「西鉄井尻駅」の看板が見えた。 「井尻かあ。南区(福岡市)やないか」 ここいてもどうしようもない。 「とりあえず博多駅まで行こう」とタクシーをつかまえた。 タクシーの運転手さんに、電車を乗り過ごしたことなどを話し、「いいホテルはないですか」と尋ねた。 運転手さんは「ホテルに泊まるくらいなら、このまま北九州まで帰ったほうがいいですよ。値段はそう変わらんでしょうから」と言った。 それもそうだと思ったぼくは、「今1万円しか持ってないけど、それで行ってくれるか」と聞いた。 運転手さんはOKしてくれた。 しかも、その運転手さんはいい人で、「早く帰りたいでしょうから」と高速を使ってくれた。 当時、普通の道を走っても1万2,3千円はかかっただろう。 道々運転手さんといろんなことを話しながら帰ったが、その話の中で、笹原駅のことも出た。 実はその駅は2日前に開業したとのことだった。 ぼくが知らなくても当然だった。
そんなことがあってから、1週間ほどしてのこと。 また、乗り過ごしてしまった。 まあ、その時は筑豊線だったから、隣の直方までですんだのだが、後が大変だった。 ぼくが酔っていたのと、タクシーの運転手の早とちりが災いして、全然別の場所に連れて行かれたのだ。 ぼくは「ヤハタのHに行ってくれ」と言い、そのまま寝てしまった。 何十分走ったのだろうか、運転手が「お客さん、着きましたよ。この辺でしょう?」と言った。 しかし風景が違う。 ぼくの住んでいるところは、ネオンや街灯などでかなり明るいのだが、着いた場所は明かりが一つもない田舎だった。 「え?ここ違う」 「ミヤタのHと言われたでしょ?」 「ちゃんと、ヤハタと言いました」 「たしかに、ミヤタと聞いたんですけど」 どうやらぼくが連れて来られたのは、鞍手郡宮田町らしかった。 結局余計な金と時間を費やしてしまった。
後日、その一連の話を得意がって友人にした。 ところが上には上がいるものである。 その友人の勤めている会社の人にもそういう人がいるということだった。 しかし、その人はぼくとはスケールが違っていた。 小倉から博多まで特急を使って帰る途中寝過ごしてしまい、着いた所がなんと鹿児島だったというのだ。 いくら特急とはいえ、普通なら熊本あたりで気がつくだろう。 おそらくその人も疲れていたんだろう。 「翌日は仕事だっただろうに、遅刻せずにすんだのだろうか?」といらん心配をしたものだった。
しかし、電車の中で寝るのはホント気持ちがいい。 あの電車の揺れが眠気を誘うんだろう。 そのままずっと眠っていたいものである。 そういう眠るだけの旅も、面白いかもしれない。 JRは『日本全国を眠る旅』というのを企画したらいいのに。
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