どうでもいいことなのだが、ぼくが会社から帰りつく時間は、よほどのアクシデントが起こらない限り、だいたい午後8時39分である。 この時間より1分でも早く着いた時は、「ああ、今日は早かった」と何か夕方にでも帰ったような気分になる。 逆に、この時間より1分でも遅く着いた時には、「ちぇっ、遅くなった」とまるで真夜中にでも帰ったような気分になる。 ここ数ヶ月、この帰宅時間を中心に生活が回っているような気がする。
今日帰宅したのは、午後8時37分であった。 2分も早いと、もはや別世界である。 冬の寒さも、風の強さも気にならない。 雲の隙間から見える星でさえが、ぼくを祝福してくれているように思える。 まあ、ちょっと大げさかもしれないが、この2分の差はそれほど大きい、ということだ。
しかし、こんなことを書くと、「ぼくも小市民なのかなあ」などと思ってしまう。 ぼくは以前から嘉門達夫が好きで、車の中でもよく彼のCDを聴いている。 嘉門は「ヤンキーの兄ちゃん」から聴き始め、CDすべては持ってないものの、数枚は持っている。 そういえば、昨年買ったCDは、その嘉門の「図星でしょ☆」とエンヤの新譜2枚だけだった。 ぼくは嘉門の数ある歌(?)の中でも、特に「小市民」シリーズが好きで、車の中でもよく「あるある」などと言っている。 今日の状態を「小市民」ふうに表現すれば、「帰宅時間が2分早いと幸せな気分になる、あああー小市民・・・♪」である。 もしこの元歌を知らない人がいたら、一度聴いてみて下さい。 きっと「あるある」と言ってしまうはずです。
ぼくは小学校に上がる前から、よく人に「変わってる」と言われてきた。 最初は否定していたのだが、あまりに言われ続けてきたので、自分でもその気になっていた。 しかし、ホームページを始めてから、その考えが少しずつ変化してきたのだ。 日記をつけていて、人から「そういうことって自分も経験ある」などと言われると、「おれ、わりとまともやん」などと思い、嬉しくなってくる。 しかし「まとも」を認めてしまうと、「ただのおっさん」に陥ってしまうような気がする。 複雑な心境である。
まあ、人から面と向かって「変わっている」と言われることは、その人から注目されているとも考えられる。 それはそれで嬉しいことだが、そのことが人から人へと伝わり、「変わっている」だけが一人歩きするとなると考えものだ。 あなりよく知らない人から、「あんた変わってるらしいね」と言われた時ほど、ショックを受けたことはない。 「あんたがおれの何を知ってるんだ!?よく知りもせんくせに、人にそんなことを言うあんたのほうが変わっているじゃないか」と言ってやりたかった。
しかし考えてみたら、「変わってる」「変わってない」で一喜一憂している、というのも「小市民」の証ということになるのだろう。 あまりそういうことを気にしないほうがいいかもね。 と思うことも、「小市民」の証か。 ああ、きりがない。
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