鼻のほうはようやくかさぶたができて、回復に向かっているようだ。 昨日まで鼻の通りもよくなかったが、それも今日鼻の中でむずむずしていたものが塊となって取れたので、何かすっきりした。 「これで全快だ!」と言いたいところだが、ちょっと昨日自信をなくすことがあった。 実は昨日の日記を書いたあと、急に酔いが回ってきて、頭がガンガンしてきたのだ。 「そんなに飲んだわけでもないのにどうしたんだ? ひょっとして酒が弱くなったんかなあ」などと思って落ち込んでしまった。 「最近体調が良くないしのう」と無理に思おうとしたが、結局は体の衰えに思考が走る。 まあ、頭痛のほうは一晩寝たら治ったのだが、おそらく今後一升空けることは不可能だろう。 昨日は家に帰っても飲んだのだが、正味五合でこの低落だった。
昨日酒の上での失敗談を書いたが、別にぼくばかりが迷惑をかけまわっていたわけではない。 酔ってない時はちゃんと酔った人の介抱もしていた。 例えば高校2年の頃、柔道部の打ち上げで部員の一人が酔ってしまって、突然いなくなった。 校内を探していたら、写真部から聞き慣れた声がしてきた。 「ああ、ここにいた」と部室に入っていくと、なんと彼はそこで写真部の子を口説いている真っ最中であった。 それにしても何か変だ。 そして急に「東京弁でしゃべるよ」と言い出した。 『これはいかん』と思ったぼくは、彼を写真部から連れ出し、保健室に連れて行った。 保健室についたとたん彼は「気分が悪い」と言い出し、「洗面器ー」と言い出した。 保健室の先生が洗面器を用意し、「あんたクラブの責任者なんやけ、ちゃんと介抱してやらな」とそれをぼくに渡した。 しかたなく両手で洗面器を持ち、彼を吐かせた。 ぼくは顔を背けていたが、洗面器から伝わってくる温もりと、その時吐いた食べ物(あえて書きません)の臭いは今でも忘れない。
東京にいた頃の話である。 ある日、KTという友人とKSという友人とぼくの3人で新宿に飲みに行った。 その帰りのことだ。 その日ぼくはKTのアパートがある千葉に泊まる予定にしていた。 一方のKSは途中の新小岩でおり家に帰る予定だった。 ところが、KSが錦糸町に着く頃突然「気分が悪い」と言い出し、途中でホームに降りた。 吐く様子はなかったが、夜風にあてて酔いを醒まそうということになった。 30分もいただろうか、場内放送で「まもなく電車が入ります。この電車は最終津田沼行きです」と言いだした。 ぼくはKTに「次最終やんか。それも津田沼までしか行かんぞ。どうするか?」と言った。 「歩いて帰るか」とKTは言った。 冗談じゃない。KTが住んでいたのは千葉市内“稲毛”であった。 ぼくが「おまえ、電車でも結構時間がかかるのに、歩いたら何時間かかると思っとるんか」と言うと、KTは「そりゃそうだ」と言う。 「とにかく津田沼まで行こう。で、KSはどうする? このまま新小岩で降ろすわけもいかんし」 すると、KSは「おれは平気だよ。ちゃんと帰れるよ」と言い出した。 「大丈夫か?」と聞くと、「うん」と言いながらKSは立ち上がったが、そのままこけた。 仕方がないので、KSもKTの家に泊めることにした。
津田沼に着き、そこから3人のお金を寄せ集め、稲毛までタクシーで行くことにした。 タクシーの中でついに恐れていたことが起こった。 KSが「吐きそう」と言い出したのだ。 ぼくは「運転手さん、停めてください」と言って、KSを外に連れ出し吐かせた。 KSが「もう大丈夫」と言ったので、またタクシーに乗った。 しばらく時間がたってから、KSが「また吐きそう」と言い出した。 そこでぼくはまた「運転手さん」と言うと、運転手は「ここでは停められないよ」と言った。 といってKSを吐かせるわけにはいかない。 車の中で吐くと、あとが厄介だ。 「どうしよう?」と思った挙句、ぼくは着ていたトレーナーを脱ぎ、「おい、ここに吐け」とKSにトレーナーを渡した。 KSは躊躇しながらも、トレーナーに向かって思いっきり吐いてくれた。 その後は落ち着いたのか、KSのアパートまで何とか吐かずに行った。 もちろん、そのトレーナーは通りのごみ箱に捨てたが、その夜の寒かったことといったらなかった。 翌日ぼくはしっかり風邪を引いた。
ということで昨日と今日の日記は、人生持ちつ持たれつという話でございました。
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