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2001年10月06日(土) ラジオの話

今日テレビで、RKBラジオ開局50周年の記念番組をやっていた。
日本で3番目に古い民放ラジオ局ということだ。
開局当初の社屋の写真を映していたが、当時は粕屋郡にあったそうで、田んぼの中にぽつんと木造の放送局が建っていた。なんとアンテナも木造だったということだ。現在RKB社屋は、福岡ドーム横の一等地に建っているが、昔の社屋と比較すると、放送局はいかに儲かるかというのがよくわかる。

それはそうと、かの井上陽水はアマチュアの頃、RKBラジオにデモテープを頻繁に送っていたそうだ。あまりに陽水がテープを送ってくるので、スタッフのほうも、「彼をレコードデビューさせようか」と思うようになり、レコード会社に働きかけたということだ。そしてついに陽水は、アンドレ・カンドレの名前で「カンドレ・マンドレ」というレコードを出した。
ということで、今日は陽水も録画で参加していた。

それにしても、RKBラジオの各番組のパーソナリティが出演していたが、全然知らんなあ。名前を聞いてもわからん。
だいたい、ぼくの住んでいる地域はRKBの入りが悪く、中学の頃からライバルのKBCラジオばかり聴いていた。
“スマッシュ11”の代わりに“ヤングポップス”を、“パックインミュージック”の代わりに“オールナイト・ニッポン”を聴いていたのだ。
友だちから「野沢那智」とか「落合恵子」とか言われてもピンとこなかった。カメ&アンコーや(今仁)哲ちゃんの毎日だった。
それもこれも、地元なのにRKBの入りが悪かったせいだ。そんな電波状況の地域なので、友達の家から聴けたという文化放送なんか入るはずもなかった。

余談だが、もうひとつ聴いていたラジオ局があった。
北京放送の日本語放送だ。
「こちらは、ペッキン放送局です」と、流暢且つたどたどしい日本語でニュースを読んでいたが、要は「中国はエライ、中国はエライ」と繰り返しているだけの間抜けな放送だった。
まあ、これはシャレで聴いているようなものだったが、毛沢東が死んだ時は、真っ先にこの放送を聴いた。
「中国の偉大な指導者、毛沢東同志が・・・」とやっていたが、内容は「中国はエライ」だった。

さて、RKBの電波状況はあの頃に比べるとずっと良くなった。
FM局も増えた。
現在福岡県内のラジオ局は、NHKも含めると、AM・FMとも4局ずつ、計8局ある。さらに山口のラジオもよく聴こえる。
だけど、ぼくは相変わらずKBCラジオばかり聴いている。
たしかに、ホークス戦を全試合やってくれるというのもある。
ドカベン香川より高橋慶彦の解説のほうがわかりやすい、というのもある。
和田アナウンサーが面白いというのもある。
しかし、これは30年以上も続いている習慣なのだ。
ぼくの車のカーステレオは、CDやMDを聴くことが出来るのだが、それでもKBCラジオばかり聴いている。
これから先も、KBCラジオばかり聴いていくんだろう。


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