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2001年08月30日(木) O君の思い出

今日帰宅途中、ふと「O」という男のことを思い出した。
前に勤めていた会社にアルバイトで来ていた男だ。
ぼくより7歳ほど年下だったが、なんとなくウマが合い、よく一緒に帰っていた。
というより、彼が車で通勤していたので帰りに送らせていた、といったほうが正しいだろう。
10数年前こちらのTNCテレビ西日本で、タモリが司会をする「子供病院をみんなの手で」という「愛は地球を救う」の走りのようなマラソン番組があった。
盛り上がりに欠け、タモリの芸だけで持っていたような番組だった。
その番組でタモリが「スタジオに遊びに来てくれ」と呼びかけ、だんだん人が集まっていった。
その中に「八幡から原チャリで来ました」とタモリに言っていた男がいた。
それが「O」だった。
彼の家からTNCまで60キロ以上離れている。
タモリもそれを聞いて感動し、それからタモリとOの付き合いが始まった。
Oはタモリから「いつか付き人にしてやる」と言われ、それまでの間ウチでアルバイトをしていたわけだ。

彼の車に乗ると、いつもタモリやビートたけしや所ジョージのテープがかかっていた。
たまにぼくが、オフコースなどのテープを聞こうとすると、「やめてください!そんなの邪道です」と言っていた。
本人はさほど面白い人間ではなかったのだが、雰囲気だけは持っていた。
1年ほどバイトをやっただろうか。
ある日、突然「今からタモリさんを迎えに行ってきます」と言って早引きした。
それから何日かして、彼はバイトを辞めた。
最後の日、ぼくはいつものように家まで送ってもらったが、「明日からこの席にはタモリが座るんか」などと思っていた。

タモリの付き人になった彼は、運転手をしながら「笑っていいとも」でポスター貼りなどをしていた。
「オールナイトニッポン」にも時々出ていた。
Oは、本当はお笑いの人間になりたかったようだ。
何度かオーディション番組にも出ていたようだ。
しかし芽が出なかった。
タモリもことあるたびにOのことを紹介しバックアップしていたが、結局Oは付き人以上にはなれなかった。

その後、夢破れたOはこちらに帰ってきた。
こちらの企業に就職し、そこで結婚したらしい。
タモリから祝電が届いていた、ということだった。

Oはどうしているんだろう?
彼はタモリの前はぼくの運転手だった。・・・と思う。


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