この間書いた、山頭火の「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」という句だが、禅味があるなどと註釈がついていた。この句のどこに禅味があるんだ!この句は単に言葉の遊びじゃないか!これを禅味がある、と解説した人の禅味とはどういうものなんだろうか?どうも禅臭を禅味と勘違いしているように思えてならない。この句に禅味をつけようとすれば、「ちんぽこもおそそもみんな湯のけむり」と変えなければならないだろう。へたな言葉で飾ろうとせず、素直に句を味わえるような註釈をつけてもらいたいものだ。