ちょっと前の話題です。 韓国からのトリリンガル親日留学生と、都内在住のカメラマンが酔っ払いを助けようとして亡くなった、あの事件のことです。 彼らのご両親の会話を新聞で拝見しましたが、昔からの良い意味での礼儀正しさと思いやりがあふれていて、気持ちよくなりました。 しかし何だね。酔っ払いの方に関しては何もなしかい。 いや、何か書けというわけじゃないが、彼にも家族はあったろうから、きっと同じように悲しんでいるとは思うんだけどな。 でもでも。 先の二人はこの酔っ払いに殺されたようなものだと各務は思う。 大体、ホームに座って酒盛りをしているなんて、尋常じゃありません。この段階からすでに、先の二人もこのおじさんを快く思ってないはずなのです。しかし。こういう結果になりました。 この酔っ払いの家族は、今どんな思いなのでしょうか。テレビでは留学生の両親がホームに白い花束を置き、そばで泣き崩れる彼の母親を写していましたが、酔っ払いの家族だって、カメラマンの母親だって、できるなら同じことをしたいんだと思います。でも、カメラマンの母親は体が弱いそうで、酔っ払いの方は家族がいるかさえ知りませんが、きっと世間の目が痛くて無理でしょう。しかし、この酔っ払いの家族コメントが少しは出そうな勢いで報道してますが、一向に流れないところを見ると、今回は完全な美談としてかたずけてしまうのかもしれません。 それとは別に、轢きたくもないのに3人も轢いてしまった運転手さんのほうも気になります。 JRの人身事故で3人一回で轢いてしまったのも初めてなら、全員が即死だったというのも初めてだそうで〈これはちょっと考えるととてもサムイ〉、かなり大きな事故として記録に残るそうです。 何で運転手さんのことを気にしてるかといえば、昔、丸の内車掌区の車掌さん(新幹線や山手線などに勤務する車掌さんたち。通称丸車〉から聞いた話を思い出したからです。 その瞬間、線路の上の人と、目が合うんだそうです。自殺の場合はすでに目が死んでしまっていて、あまり気にならないのだそうですが、事故の場合は、いつまでも目に焼き付いてしまうとか。人身事故を起こしたシーンを、繰り返し夢に見る人もいるそうです。 サムイ。 京浜線で一番前にのって、運転席から前を見ていたことがありますが、ホームから傘が線路に落ちた時、かなりドキッとしました。落とした人は女性で、かなりいい傘でしたが、その女性は白線の外に立っていて、その人も落ちてくるのかとさえ、本当に一瞬なのに思いました。 次の瞬間。 ごとん。 たいした音でもありませんでしたが、足の下から小さな振動とともに、何かが断ち切られる音がしました。電車はそのまま何もなかったかのように停車し、いつものように発車しましたが、傘がどうなったのか見に行く気はありませんでした。 あの事件の起こったとき。ホームにいた人は皆一様にこういったそうです。 「何かに乗り上げるように止まった」 何かがなんなのか、言わなくてもわかる。乗っていた人の足に、それは響いたはずだ。そして、車掌室のドアにブラインドが下りてなかったら、あの日の私のように前を見ている人がいて、彼らと目を合わせたかもしれません。 死んでしまうと、どこに行くのでしょう。 悲しみはどこへ行くのでしょう。 死んだ人の思いは、一体どこにあるのでしょう。 あの強い思いは、感情は、どこに行けば名残を見つけることができるのでしょう。 その人へ向けた気持ちは、もういない人への気持ちは、どこへ向かって飛び立つのか。 もう、その人はどこにもいないのに・・・ 亡くなってしまったお二人と、亡くなった一人。 彼らの冥福を祈って、今日はおしまいです。
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