”BLACK BEAUTY”な日々
Paranoia Days INDEX|Did The Old Boogie
2006年10月20日(金) |
父より、そして夫より |
「的確な現状把握力、それを踏まえた上での情報収集力と推論力、及びこの三つの力のバランス感覚」
私は自分のアイデンティティの本質は上記の通りと考えていた。 ざっくり言えば「理性」こそ人間の本質であるという主旨になる。
有名な童話「三匹の子ぶた」でレンガの家を建てた三匹目の仔豚は冒頭の「理性」を存分に発揮しオオカミを撃退した。 一方、わらで家を建てた一匹目の仔豚は運に見放された悲劇の象徴となる。
そして最も愚かなのが、二匹目の仔豚である。オオカミの息で吹き飛ばされたわらの家を目前にしたならば、間違っても木の枝という脆弱な材料を用いるわけがない。 一匹目と同じ運命を辿る事は明白だからである。
私は「三匹目の仔豚」の如く、思春期を過ごした。受験勉強にも余り苦労した記憶がない。「10代の暴走」よろしく、それなりに悪い事もしたが、理性を失う寸前で素に戻った。 そして、このまま理性さえ保ち続けていれば、人生は上々だと思うに至った。
ところが、この思春期にロック、しかもパンクという理性とはおよそ縁のない音楽と出会ってしまった頃から、私の心にある種のコンプレックスが宿りはじめた。
それは「自分は本能のおももくままに、直感的、感情的に生きる事は絶対に不可能である」という諦観の思いだった。 キースリチャーズ、ジョニーサンダース、甲本ヒロト、町田町蔵、ギンズバーグ、ケルアック、ブゴウフスキー、三島、太宰、安吾、夢野久作…。
私の憧れたこの人達の直観力は理性を確実に上回っている。私には到底辿り着けない場所に彼等はいた。
身近な交友関係でも、本能的、直感的な人達との出会いがある度、私のコンプレックスは増幅していった。
それでも私は「不安定な理性」になんとかしがみつきながら、仕事をし、恋愛をした。
28歳の時、当時交際していた女性と結婚した。結婚生活は順調で私は真綿に包まれたような心地良さを感じていた。
ただ、これは私の理性によって手にしたものではなく、妻の寛容さと忍耐力の強さによってもたらされたものだ。
彼女は自身の心を削って私に自由を与えてくれた。それに対する感謝の念は一生忘れてはならないと思っている。
30歳の時、妻は男児を出産し、私は父親となった。今度は一人の父親として確固たる理性を失う事なく教育する必要が生じた。
ところが、昨日5歳の誕生日を迎えた彼と過ごした日々の中で、私の理性は彼の思うがままに揺さぶられた。
幼児は大人の想像力を遥かに超えた存在であり、私の推論力など無に等しくなってしまった。 都合、私の人間観は見事に崩れ去っていった。
何しろ、やる事や言う事の予想がつかない。 つい先日も彼から「いのちってなあに?」と質問され、私は失語症寸前に追い込まれた。
だが、同時に彼は私の心を巣くっていたコンプレックスを少しづつ消去してくれた。 そして親というものは子供の成長を通じて、もう一度人生を追体験させてくれる存在である事も教えてくれた。
誕生日のプレゼントはTVに接続し、どらえもんと一緒に遊びながら知性を育てる子供向けのPCといった知育玩具だった。
今日、彼はどらえもんと一緒にひらがな文字の練習を楽しんでいた。
この国の50音の最初と二番目の文字は、確実に私を変えた。
五年間、元気に成長した彼と、それを暖かく見守った彼女へ。
「おめでとう」そして「これからもよろしく」
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