CORKSCREW Diaries(米国編)
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2007年03月15日(木) departures(enpituの使い勝手に負けた日)


最近何も書かなくなったのは、やっぱりenpituの使いやすさには敵わなかったから、
と言うことにしておくといいのかもしれません。
長くつきあって来たこのシステムから離れることはやはり難しかったような気がします。


こういう場で文章のようなものを書き始めてから数年、
初めての長期ブランクが空きました。
死んでいた訳でも無く、
書くネタが無かった訳でもなく、
ぶちまける想いが無かった訳でもありません。
ただただ、書くという行為が出来なかったのです。


そしていつの間にか、明日はここBuffaloでの最後の日です。
この二年間で、4回目のお別れです。
こんなにせわしなく動き続けた2年間も生まれてこのかた無かったなと思います。
そして長い旅の終わりです。ついに1/48になってしまいました。
正直、アメリカでの生活を終えたくはありません。
完全燃焼したと言うよりは、不完全に煮詰まってしまった部分も多くあります。

でも、これが人生だ。

だから仕方が無いのだと思います。
再びこの地に戻って来るのもオプションのひとつ、
人生の道は結局自分で切り開いて行くしかありません。

ここでの自分は普段会うことの出来ない人に多く会うことが出来ました。
出会いと別れは世の常人の常。
一期一会と言う言葉を僕はアメリカでよく感じます。
今後二度と会うことは無かろうとも、
それでもSee youと言ってお別れしたいです。






2006年10月24日(火) ブログ移行化計画


以前から持っているココログ(宮部みゆきじゃなかった眞鍋かをりで有名。なんでこんなのを間違えるのだろうか)に移行を考えている。
少なくとも今年一年分ぐらいは移行してみようかと思っている。
過去5年分はとてもじゃないが移行できない。ってか容量は足りるのか。
enpituの使い勝手はなかなか素晴らしいのでこっちも手放したくはないのだが。
中途半端にやってしまうとどっちつかずになることは必至。
ってかここまでブログとか流行してしまうと昔ながらの日記サイトであるenpituはもうダメだよね。
フルモデルチェンジはさすがに期待できそうにないのはつらいところだ。

と言うことで2006年4月だけアップデート。
写真ももう少し加えてみたいが、出来るのか。
オリジナルを壊したくはないので、今の感想はコメントででも追加することにする。
アドレスは、
http://dyama.air-nifty.com/corkscrew/



2006年10月23日(月) 新しい生活


新しい生活に新しい環境、新しい出会い。

基本的に僕は新しいテクノロジーは好きだが、
(いまだに発売後2週間の初代iPodを買ったことをネタにしている。ようやく時代が僕に追いついたのさっ)
新しい環境は苦手だ。
人が代わり生活が変わり全てが変わる。
こんな生活をこの一年半し続けて、まあ旅は残り4分の1となった訳だ。

バッファローでの生活はその集大成、
になるといいなあ、ならないとまずいなあ。


とりあえず週の半分は留学生オフィスでのインターン、
半分は英語学校及び、シンガポールサマープログラムのアシスタントとなる。
基本的に僕はイベント屋なので、プログラムとかイベント推進とかやらせてもらえるとうれしい。

と言うわけだ。
UBは巨大で、MSUの数倍はある。
平気で校内で迷う。
そしてアジア人も多い。
モンタナとは違う。


一週間しかいないからだと思うけど、
僕は未だにあのボーズマンの街や空や学校を懐かしく思う。
空は俺様色だった。
イーストコーストの空は最近ずっと鉛色だ。



2006年10月18日(水) 大陸横断紀行・後編(日本の首都は、チバ! シガ! サガ!)


毎日色々とお世話になった人たちにメールを打っている。
インターン自体は5時にはきっかり終わるから、
時間自体はたっぷりあるというものの、
あれやこれやで時間はすぐに過ぎていく。
リスニングリーディングを頑張らんとあかんなあ。

10月12日
今日もう一日ミネアポリス/セントポールで過ごすことに。
と言うことで噂のモールオブアメリカに行ってきた。
確かにでかい、でかいが、思ったよりはでかくないかも。
そういやあこの日のことは前の日記で書いてたからまあいいか。
北欧のユニクロこと(と勝手に命名)H&Mでお仕事用の服を買い込む。安い。
エイミーのじいちゃんばあちゃんの家を出て、
今度は、エイミーの妹、ケイミーのアパートに泊めてもらった。
(なんつう安直な名前の付け方なんだ)
男を泊めてもええんか、と思いつつも、こっちではそんなのもありらしい。
当然部屋も別。なかなか快適だった。

10月13日
ミネアポリス→サウスベンド(インディアナ州)

朝、突然リアスピーカー左の音が止まる。
原因は未だに不明。
たぶん断線とかだと思うけど、やれやれまた調べなければ。面倒だ。
それでも片方だけでもなんとか音は出るもので旅を続ける。
ミネソタからウィスコンシン、イリノイからインディアナへ。
途中で初めて有料道路を通った。
が、こっちの有料道路は安い。
結構走ってもせいぜい3ドル。
有料道路だけに道の脇にはサービスエリア(こっちではレストエリア)があるのは日本と同じだ。(日本が真似しただけという話があるが)

夕方にシカゴのラッシュアワーにはまってどつぼにはまる。
絶対に都市では生きていけないなと思った。
シカゴを抜け出すのに2時間、そして適当なところで泊まる。
大陸横断もあと少し。あと一日。
そしてバッファローでは大雪で大規模な停電が起こっていた。
明日はどうなるんだか。

10月14日

ラストスパート。
後6時間走ればバッファローに到着。
思えばこの旅では、スピーカが壊れたとは言え、
音楽のお世話にかなりなっている。
木村に送ってもらったUnderworldを聴いてトリップしそうになり、
Arctic MonkeysやLinkin Parkにはまる。
そしてラーメンズの新・日本語学校で一緒に叫ぶ。
「日本の首都は、チバ! シガ! サガ!」

最終日はただただ走り続けてようやくのことでバッファローに到着。
まあ日の明るいうちに着いただけ良かったかも知れない。
合計、2100マイル。
同じ道を帰る? って言われたら拒否します。



2006年10月15日(日) バッファロー到着


2100マイルの旅を経てニューヨーク州バッファローに到着した。
金曜日のスノーストームで街は雪が積もり、道路は封鎖され、そして電線が切れて町中が停電していた、らしい。 と言うのも到着した頃には随分ましになっていたからだ。とは言えスーパーでは生鮮品売ってないし、冷凍食品はすべて捨てられていた。たぶん解凍しちゃったからだろうね。なんて言うか、すごい状況だ。

このスノーストームを避けられて幸運と言うべきか、残念と思うべきか、まあ幸運なんだろうけど、なんか幸先の悪いスタートだな。でも明日は仕事が休みになったから、良しとしよう。ラッキー。









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