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お引越しします。

今まで、エンピツさんにはとてもお世話になりました。
ありがとうございました。

MyEnpituに登録してくださったみなさん、ありがとうございました。
2005年06月23日(木)

どうしてなんだろうね。

何があったんだろう。
私は何か悪い事をしてしまったんだろうか。

どうしても自分を責めてしまう。

顔も知らない。
声も聞いた事がない。

でも、もう何年も積み重ねてきた関係。
こんなにもろく崩れ去ってしまうものなんだろうか。
こんなにも簡単に私の手から離れて行ってしまうんだろうか。

信じたい。
信じて待っていたい。

でも・・・。

そうは思えない証拠が、私の胸に突き刺さる。
2005年06月20日(月)

愛と怒りは同時に存在する。

最近ロムさせてもらってるブログを読んで。

今回の記事で母親の事に触れていた。
時折登場するその方の母親。
その度に私は、まったくの他人事ながらその母親の態度に腹を立てていた。
『そんなひどい仕打ちってある?』と怒っていたのである。
読んでいてムカッとくるくらい、その母親の言動はその方を傷つけていた。
(と、私が感じていたという事なのだけど。)

今回の記事。
またしても『そりゃあ、ねぇだろ!』と突っ込みたくなるような内容。
子どもの苦しみ、心情をまったく理解しようとしない、出来ない母親。
(自分の親に通じるものがあって余計に腹が立つのだろう。)

しかしそのブログ主であるその方は、そんな母親に反論しようとしない。
むしろ、自分の性格に問題があるのではないかとまで考えていた。
そして、かつて母親から得た愛情を思い出し、癒されたと言う。
たとえ今現在、心に突き刺さるひどい言葉を吐かれていたとしても。

『でもあの時は・・・。』

いつも読ませていただいて感じるのは、この方の頭のよさ。
優しい人だなぁとも思っていた。
内容に同意、納得出来る事も多々ある。
だからこそ、また読みたいなと思ってたびたび訪問しているのだ。

しかし今日この方の頭の良さが物事を頭で処理させてしまっていると気付いた。
それは今までうすうす感じでいたことなんだけれども。

今現在、自分に対してひどい事を言っている母親に対して、
『いやいや、それでもあの時は優しくしてくれたんだ・・・。』
と、母親を許そうとしているように感じた。
また、自分の母親がいい母親であると思いたいというのもあるのだろう。

これはもちろん私の経験に基づいた憶測であるので、
実際にご本人がどう思っているかはもちろん分からない。
これが正解だとも思っていない。
このブログを読んで、私の中に湧き上がってきたものだから。

私が日頃、この方のブログに感じていたのはこれだと思った。

『押し殺された感情』
『自分を後回しにしてしまう癖』

頭で感情を抑え付けてはいけない。
殺された感情は悲鳴をあげる。
身体の中から、自分を壊そうとする。

過去の母親の愛を、嬉しくありがたく受け取ることと、
現在ひどい事を言う母親に、腹を立てること。
これら二つは矛盾などしないんだ。

嫌だったら嫌だと言えばいい、ひどい!と叫べばいい、愛して欲しいと伝えればいい。
そんな感情の流出を止めてはいけない。
それは罪ではない、ましてや欠点なんかじゃない。
人間として自然な感情だ。

この感情の流出を自分に許そう。
そうじゃないと、これからますます辛くなってしまう。

自分は誰かの次じゃなくていい。
自分を一番にしていいんだ。
自分が先に幸せになっていいんだよ。

私がこの方と友達だったら伝えたい。
いや、直接伝えなくてもこの思いは伝わる。
そういうものだ。

☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆

振り返ってみて、この文章は自分に言っているのだと気付く。
この方の記事のおかげで、私はまた私を癒すことが出来る。
ほんとうにありがたい。
2005年05月14日(土)

自分を甘やかすことが出来ない。

友のブログで出会った言葉。

あなた自身に無条件に優しくなりなさい。
あなた自身に無条件に優しくすることが、奇跡への始まりとなります。
人類という花は、奇跡なのです。
    マイケルJ.ロ−ズ「真理を生きる�供�

あぁ、いい言葉だ。

いつもいつも、自分の生活を厳しく見つめている。

『こんなことをしていていいのか。』
『もっと他にやることがあるんじゃないのか。』
『次にやってくる困難のために備えなくていいのか。』

今の私の生活。

相方もいる。
仕事もある。
身体の調子も比較的安定している。
子どもがいない分、自分の時間もある。

恵まれている・・・と思う。
自分のやりたいことが出来る環境にある。

しかし、私は自分の世界に没頭することが出来ない。
私の中のジャッジが私を行かせない。

『そんなにのんびりしている暇があるのかい?』
『今すぐに形になるようなことをしなくちゃだめだ。』
『そんな事をしても意味がない。』

自分の楽しみだけのために何かをやる時間や、
苗から徐々に花開き、実になるまでの時間がもったいないとか。

だから現実の、目の前のことだけを見て過ごすことになる。
ちまちま、ちまちました1日を過ごし。
夜になり『今日はいったい何をしたんだっけ?』という何の印象もない1日になる。

誰が私の生活を監視しているというのだろう。
実家からも離れ、一人で家にいる私を。

それは紛れもない『私』である。
私という看守が、檻の中の私を見張っている。
2005年05月12日(木)

どの世界で生きるか。

たわいもない話をして、突っ込んだ話はせず。
違う意見を持っていても、たたかれることを恐れ口にしない。
共通のグチや不満を言い合い、同意し、される事に安心感を感じ。
厳しい意見は言わない、痛いところは突かない。

怖いからこそ、そんな世界にとどまる。
外界は、自分を襲い破壊し食い尽くしてしまう場所。
殻を脱いだら、素の姿を見せたら最後。
生の姿を世界にさらすなんて、とんでもない。

私は私のままで、自分を守って、生きて行く。


つい何年か前まで、私もこうして生きていた。
でも、今は違う。
自分を偽る事が、どれほどひどい事かを知ったから。
自分をどれだけ痛めつけるか知ったから。

でもあなたはその場にとどまるのですね。
痛い所をいっぱい抱えて、その傷をかばいながら過ごすのですね。
せっかくかばった傷を、自分自身で日々かきむしっているというのに。
その傷を、誰かのせいにして行くのですか。
その傷を、最初からなかったものにしてしまうのですか。

傷をさらすのは痛くて辛い事。
まるでやけどをした皮膚の包帯を取り去るがごとく。
でも、隠したままではいつまでも新しい皮膚は生まれない。
治さなくては。癒さなくては。


私は待ってる。
今、私が立っているこの場所で。
表面的な交流がない場所にも、つながりはある。
相手に思いをはせること。相手の事を思い出すこと。
それだけで伝わる思いがある。

私はそれを信じてる。
2005年05月10日(火)

気付かなかった。

自分の心が求めているものを。
察してあげられなかった。

予兆はあった。

人の幸せを見て羨ましいと思った。
羨ましさが憎さに変わる事もあった。

我慢していた。
自分の欲求を後回しにして人に合わせていた。

それが身体に現れるのに、思ったほど時間はかからなかった。
そうなってみて初めて、自分の苦しみを感じた。

こんな風に考えちゃいけないとか、
自分は大丈夫なはずだとか、
勝手に自分自身のハードルを上げていた。

もっと自分の要求に正直に、
もっともっとわがままに。
もっともっと自由に。

私を甘やかしてあげられるのは私だけなんだから。
2005年05月07日(土)

お手上げだと言う。

自分の思想とか思い込み、信念やプライド。

自分がそれに縛られてるような気がして、それらから自由になりたいと思う。
でも、なかなか難しい。

なぜならこれらの物たちは、今現在自分が安心して暮らせるために、
とっても必要なものだから。

でもそれは思い込みで、実は自分は安心してなどいない。
もし安心できていたら、今現在こんなに苦しくないはずだから。

自分を安心させてくれると思っていたものが、
逆に自分を不自由にし、苦しめ、新たに進む道を塞いでいる。

でも、今まで必死にしがみついてきた思想を手放すことは、
パラシュートを持たずに飛行機から飛び降りるくらい怖いこと。
この先に、とてつもない不幸が待ち受けているんじゃないかと思ってしまう。

男だからとか女だからとか、大人だからとか子供だからとか、
そういう事をすっかり手放して、自分はそのままの自分。
出来ない事を出来ると言ってかっこつけるよりも、
『私には出来ません。』と正直に言ってしまうすがすがしさ。
自分を解放してみよう。

でも、これは頭で考えて出来ることではない。
今の自分のやり方をとことんやってみて、それでも辛くて、
もしかして自分が今までやって来た事が間違いだったんじゃないか?
方向性が違ってたんじゃないか?
そんな風に思い出した時がチャンス。

それを認めるのはとってもとっても怖いことだけど、
『もう自分はダメです。』とお手上げ宣言する事で、
やっと今までの凝り固まった自分から離れられる。
周囲に助けを求めることが出来る。

自分ひとりで何とかしようとしていたことが、無理だったと気付く。
安心できる場所、安心できる仲間を得られる。

プライドは、あなたを守ってくれてるフリをしてるだけだよ。
2005年03月01日(火)

人に求めても仕方がないもの。

『自分で自分を幸せにする』がキーワード。

誰かに何かをしてもらったから幸せ、は真の幸せにはならない。
なぜなら、それを与えれなくなった時点で幸せではなくなるから。

誰かに何をしてもらったから幸せ・・・ではなく、
私がこれをしているから幸せ・・・になれたら最高に嬉しい。

求め続けることは辛い。求められる方も辛い。
相手の行動で、自分への愛を証明させようとするのではなく、
自分の胸の中に愛をいっぱい持って、相手に向かい合う。

自分を大事にしていないと、自分の中の愛は枯渇する。
そんな状態では、決して自分自身が満たされることはない。

愛を表現されても、受け入れることが出来ない。
それどころか、愛を表現されている事さえ気付かない。

もっと愛してくれ、もっと与えてくれと求め続ける。
『あなたがこうしてくれないから、私は幸せになれない』と、
相手を責め続けてしまう。

そして自分も相手も疲れ果ててしまう。
自分の不幸を人のせいにしているうちは、幸せになれるわけはない。
毎日、愚痴と不満を口にし続けて周囲をもマイナスの思考に巻き込む。

なぜそうなってしまうのか。それは

『自分が自分を大切にしていないから。』
『自分が自分を愛していないから。』

愛する人と一緒にいるのはとても幸せなこと。
でも、もっと大切なのは自分が1人でいても幸せなこと。

自分の中に、愛を満たそう。
2005年02月10日(木)

自分を好きになる。

なんでこんなことをしちゃったんだろうとか、
あの時ああしてれば良かったと思うことがいっぱいあって、
自分はなんてダメな人間なんだろうと落ち込むことがある。

でももしかして私は、今目の前にある結果しか見ていないのかもしれない。
誰かと気まずい雰囲気になってしまったとか、
自分の思いを素直に表現する事が出来なかったとか、
とかく記憶はマイナスな事ばかりを印象付けて保存してしまう。

その瞬間瞬間の自分。
流れていく時の中で、いつの間にか過ぎ去り忘れてしまったその瞬間。
きっと私はその時その時をちゃんと生きていた。

イヤな場面に遭遇しながら、今自分はどうしたらいいんだろうとか、
辛い思いをしている人を目の前に、どうやって守ってあげたらいいのかとか。
必死に頭の中でぐるぐるぐるぐる考えていたに違いない。

実際行動に移せたものは少なかったかもしれないけど、
ちゃんと心を傾けてなんとかしようと思っていた自分が確かにいる。

今出来なくたって、いつか出来るようになるかもしれない。
いや、出来なくたっていいじゃない。
出来るか出来ないかで、判断しなくてもいいんだ。
私の存在自体が、大切でかけがえのないものだから。

私が今、こうやって自分を感じながら生きている事が、
きっとこれからの私自身の糧になっていく。
試行錯誤して泣いたり笑ったりしたことが、
私の生きてきた証になるんだから。
2005年02月08日(火)

分かっています。

なぜあなたが私を避けているのか。

私と一緒にいることによって、流されたくないんでしょう。

あなたが今、距離を置いていたい世界に連れて行かれそうになるから。

分かっています。

そして私はそれでもぜんぜん構いません。

怒っているのではありません。

あなたの選択を尊重します。

そうしたい時はそうする。

それが一番いいと思うから。

近づきたくない時は、近づかなくていいのです。
2005年01月26日(水)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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