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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■○○○されてみる
「それは、満月の夜のことでした」は、素舞台で地明りのみの舞台です。それがCTTの決まりだからです。
多少の照明を工夫したり音響効果を加えたりすることはできますが、現実的に、役者1名、スタッフ1名の所帯なので、ほとんど何もできないに等しい状況です。(一般的にはそうとも限りません。スタッフによってできることの範囲は激しく異なります。けれど、今回その1名が私なのです。)
最初はいろいろ考えてることがあったのですが、じゃあ誰がやるんだ?じゃあ誰がわかるんだ?となると、話はだんだん現実味を失くしていくのでした。これは、これまでの公演も同様でしたが、そのときは、そういうときこそ力を発揮するその他のスタッフがいました。今更ながら、彼ら彼女らの存在の大きさを痛感し、感謝しています。
ト書きには、例によって好き放題書いてあります。
このままではどうなるんだ?どうするんだ?と思い、
思い切って、役者さんに聞いてみました。
こんなこと聞いていいのかどうかわからなくて、少し小さな声になってしまいました。
「舞台にはあなたしかいないので、舞台上のあなたに○○○するための方法は、あなたに○○○するか、あなたが○○○されるかしかありません。あなたに○○○するには知識とか技術とか機材が必要です。それらを調達するのが難しい場合、逆に、あなたの方で○○○されてみる、ということは可能でしょうか?」
役者さんはぱちぱちと瞬きして、「わかりませんけど、やってみます。」と言いました。
やります、ということではなく、やれる方法を考えてみます、という意味だと思います。
感動しました。
それができれば、こんな便利なことはありません。
いえ、こんなクリエイティブなことはありません。
いいえ、これほど「演劇的」なことはないのではないでしょうか。
そういえば、今回、片桐さんは、一度も、「それは無理です。」と言われません。「・・・・・・・・、やってみます。」と言う言葉は、・・・・・・・の時間がどれだけ長くても、やはりものすごく心強いものです。
そういうわけで、今日の稽古はこれまでとはずいぶん違うものになりました。驚いたことに、効果のことだけではなくて全体の雰囲気が激変しました。ストーリーさえ変わったかもしれません。
「○○○されている」役者を見ていると、彼女がその次に言う台詞や、する動作の理由が見ていてとてもよくわかるのです。
「なるほど。ここでこうされたからこう言ったんだな。」ということがわかるのです。本人に聞いてみても、「、ね〜。そうだったんですね〜」と腑に落ちた返事が返ってきました。
(余談ですが、片桐さんは、腑に落ちると、よく、「、ね〜。」と言います。)
こんなに何かと良いことがあるのなら、その上知識や技術や機材の不足を補うことができるならば、このまま、どこまで行けるかわかりませんが、やれるところまで、腹をくくってやってみようと思いました。
幸い、まだ1カ月あります。
1カ月は、あてもなく知識や技術や機材を探すには短いですが、すでに進んでいる稽古の場で試行錯誤するにはそう悲観的な時間でもありません。
私にできることは何なのか、まだわかりませんが、とにかく、役者さんを励ましたり力づけたり信じたりしようと思います。
10月23日(日)
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