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窓のそと(Diary by 久野那美)
by 久野那美
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■忘年会?お疲れ会?お祝い会?
久野 「(みんなに説明する)アルコホリックの本人もAC気味のお父さんがいて、小説家で、子供との関係もうまくいってなくて。だけど火事になってお父さんが死ぬとき、息子はいのいちばんにお父さんの原稿を火のなかから持ち出すんです。その場面がほんとによくて。」
田中 「そうそう。」
久野 「お父さんのこと死ぬまで何も理解できなかった息子が、お父さんがいちばん大事にしてるものは何だったのかということはちゃんとわかってたんですよ。」
*
大石さんはおととい、一人でソロライブ(ひとり芝居??)をしたのですが、その舞台はお客様に参加を求めるタイプのもので、私はうっかり見に行ってしまって途中で「あ・・・つらいかな・・」と思ったのですが、不思議なほどつらくなかったです。こっち来ないで、という空気を少しでも出すと、大石さんはうまいことこっちを避けてくれるのです。あの空気の読み方は絶妙で、野生動物のようでした。なんの動物かわからないですが。人間関係に不自由なく生きてきたひとのものではないなと感じました。では、あの楽観的な世界観はどういうことなんだろう。ともかく、たしかに彼はこうやって生きてきたのだなと思いました。これからどうやって生きていくんだろう?とも思いました。
ああいう舞台にありがちな、迷惑極まりない無邪気な閉塞感を全く感じませんでした。不思議でした。
無理強いしないから、誰も舞台にわあっと寄って行ったりしません。
大石さんはひとりで舞台を続けていました。
そのことを話すと、大石さんは悲しそうに、
「あれは事故でした。」と言いました。
「みんな、わあっと寄ってきて楽しくなると思っていたんです。」
よってくるわけないだろう、と私は思いました。
たぶん、みんなそう思いました。
「大石さんの作品を見て、私は苦痛を感じないんです。ああいう形のものを見てこれまで何度も猛烈に嫌な気分になったのに。その原因が大石さんの才能なのか人柄なのか、わかりません。とにかく、わかりません。」と私はいいました。大石さんは口をUの形にくいっとあげて、目を大きく開いて微笑んでいました。
そして、
「あの、悪意のない、あれですね?」
と言いました。
そうです。あの、悪意のない、あれです。
やっぱり。人間関係に不自由なく生きてきたひとの言葉ではないなと感じました。
山添さんは、CTTの事務局員としてこれからやりたいことや、つくりてではない観客としての立場から見る舞台について熱意をこめて語ってくださいました。片桐さんとや山添さんは、テーブルの対角線で宇宙物理学の話とかしていました。物理学のことはわかりませんが、宇宙物理学の話をしているひとが両端にいる演劇の飲み会は楽しいと思いました。
大石さんと田中さんがフーコーの話を少ししていました。
理系の二人(山添さんと出井さん)はそれを聞いて、どこかの博物館にある振り子の話を普通にしていました。ひとりだけ学生さんの出井さんは、今日の話は私には難しいです、と言いながら、「私はボキャブラリーが少ないので難しい言葉を覚えるようにしてるんです。」といって、「フーコー」とか「メタ」とか、誰かが話した言葉を繰り返しつぶやいていました。
「哲学のひとって、<アプリオリに>とか平気で使いますよね。」と私が言ったら、出井さんが、「アプリオリって何ですか?」と聞いて、大石さんが「生まれる前から備わっているもので・・」とわかりやすく説明し、カントにとっての道徳律はアプリオリなもの云々という例をあげました。出井さんは、「アプリオリ」と繰り返しつぶやいていました。
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全然違うお芝居を作った3組で突然決まったお疲れ会で、しかも12月の梅田なのにがらんと空いてるカレー屋さんで、インド人の店員さんに案内されて座った細長いテーブルは片側3人ずつと、なぜか必要以上に緊張感のあるレイアウトで・・・時間をかけてメニューを見て、ぱたんと閉じ、大石さんは「はい。僕は決まりました。」と微笑んでいる。え?ひとりずつなの?みんなどうするの?
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12月13日(火)
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