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ゆれるゆれる
by てんのー
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■覚え書き、メディアの謝罪のやり方と日本語
不愉快と不適切。「しぜんにそうなる」と「意図を持ってそうした」の選び方
差別表現(放送禁止用語)を使ったとしても、謝罪は「不適切な表現がありました」。決して、「障害を持つ人を不快にさせました」とは言わない。まるでどこかに「適切な表現」マニュアルがあるかのような言い方をする。
それは、そんな決まりごとがある、と思わせておいたほうが楽だから。「ルールを破ってごめんなさい」ということ。「嫌な思いをさせてごめんなさい」のほうが謝り方として本筋だが、あくまで「ルールを破った」ことに対してのみ謝る。責任を負わなくてすむ楽なやり方だから。
これでは言葉狩り、言葉狩りといって反発があるのも当然で、よく考えていくとそうなる。
「しぜんにそうなる」(自動詞的用法)という言い方が、丁寧で礼儀にかなっているとされる。
日本語の中に、ほとんど先天的にこの発想が組み込まれている。
「迷惑に感じるお客様がいらっしゃるので、携帯電話のご使用はおやめください」よりは、「お客様のご迷惑になりますので、携帯電話のご使用はご遠慮いただいております」のほうが丁寧。
はては、同じ発想で「迷惑に感じるお客様」より「ペースメーカーを使っているお客様」を強調して利用することになる。迷惑だと思うのは主体的な感情(=他動詞的)だが、病気でペースメーカーを使うのは「そういうことになっている、しかたない事情」(=自動詞的)だから。
規則なんだから守りましょうね
みんな我慢してるんだから我慢しなさい
払い戻しはできないことになっております
などはみんな、婉曲な言い方をして丁寧な印象を与えようとした結果。多用して婉曲どころかただの無責任に過ぎなくなっている。なっておりますって、あんたらが決めた規則だろ? とか、じゃあなんでそんな規則をつくったの、なんて聞き返すといいが、すでに答えられなくなった人間も多い。
婉曲が丁寧、は最大の日本語的意識。あいまいだから良いとか悪いとかではなく、あいまいじゃないのは日本語じゃない。
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お名前のほうご確認いただいてよろしいですか
「〜とか」「〜的」「みたいな」なんていうこれらの表現のすべては、単に新しく出てきたあいまい表現なだけで、2000年間あいまいな言語を育ててきた先輩たち(言葉の乱れを嘆く年寄り含む)にあれこれ言われる筋合いはない。
むしろ彼らとしては、これらの「若者言葉」が恐ろしいほど「日本語的」であることを、喜ぶべきなのにね。
11月02日(日)
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