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ゆれるゆれる
by てんのー
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■祖父の三回忌
 祖父の法事に行った。まだ3回忌だからたくさんの親戚が集まった。

 祖父はほとんど10年間、パーキンソン病で寝たきりが続いたから、最期のころは骨と皮ばかりになっていたが、意識ははっきりしていたようで、時々涙を流していたのがつらかった。

 命日は6月8日だったが、おととしのその頃、僕は一ヶ月あまり韓国と中国をうろついて帰ってきたばかりだった。なんとなく、僕が帰るのを待っていてくれたような気がした。

 戦前、子供のころの祖父は上海に住んでいた。立派な家並みが続いていたこと、中国人の子供の家へ遊びに行ったこと、近所に住んでいた「青い目の」フランスの女の子がそれはそれは可愛らしかったこと・・・。

 祖母以外の人には、自分のことなどほとんど話さない人だったけれど、たった一度中国の思い出を話してくれたことがあった。

 蘇州へ日帰り旅行に行って、初めて大陸の大きいのに驚いたこと。道がまっすぐで、広うて、ずっと向こうまで続いとる。・・・空が広うてのう・・・中国はええ所よ・・・。

 四十九日が済んで、祖母は「中国のころのことは、私ゃ分からんが、おじいさんの人生で一番楽しい思い出じゃったんじゃ、思うよ。いつか、一緒に行こうね、言うとったんじゃがねえ」としみじみ言った。

 祖父の身寄りは早くに亡くなったから、その後上海暮らしを覚えている人はいない。身内で上海を訪れたという人もいない。僕が中国旅行の最後に上海の地面に立ったとき、「うちの一族でここに来たのは、じいちゃん以来だ」と思うと、なにか高揚するものがあった。

 もちろん、旅行に行ったころは、じいちゃんの具合がそんなに悪いとは思いもしなかったから、そんな話を思い出したのもたまたまだった。でも、日本へ帰ったら、じいちゃんに見舞いがてら自慢しに行こうと思った。

「じいちゃん、行ってきたよ。上海、見てきたよ。ええじゃろ!! 船で上海から帰ってきたんじゃけ、じいちゃんとおんなじじゃ。」
それが、亡くなるほんの一週間前のことだった。

 旅の途中、急に、その週の船で帰ろうと思ったのだ。
 今でも、帰ってこい、そして話を聞かせろ、という祖父のメッセージだったと思っている。そして、僕を待っていてくれたんだと思っている。
05月10日(土)
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