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今日の私
by かずき
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■『エリザベート』(9/24マチネ、山口・石川・井上)
急に譲っていただいたチケットです。
行かれなくなった方の理由が『椅子の上の猫』の
プレイベントに行くからということだそうで、
調べてみたら、私の家から20分ほどの場所で開催。
つい、そっちにもふら〜っと興味がわいたりしたのですが、
今期観られないはずだった唯一の石川フランツですし、
しっかり、観にいってきました。
『エリザベート』
<時間>1幕12:00〜13:20、2幕13:50〜15:10
<場所>帝国劇場U列53番
<主な出演>
一路真輝、山口祐一郎、高嶋政宏、フランツ:石川禅
ゾフィー:寿ひずる、マックス:村井国夫、ルドルフ:井上芳雄
ルドヴィカ:春風ひとみ、マダム・ヴォルフ:伊東弘美
シュヴァルツェンブルク公爵:塚田三喜夫、グリュンネ伯爵:治田敦
エルマー:藤本隆宏、シュテファン他:縄田晋、ジュラ他:野沢聡
ツェップス他:大谷美智浩、リヒテシュタイン伯爵夫人:小笠原みち子
少年ルドルフ:苫篠和馬
来てよかったぁぁ!って感じ。
禅フランツって、最後はもちろん演技全体を通して
濃すぎたり前に出すぎる感じが前回辛かったのですが、
今回、非常に意識的に抑えているのが見えてきた。
それは演技だけでなく、フランツの人生自体も、そう。
江戸時代の外様大名が遺言で「賢しくなくてよい、
ただ永らえよ」と残したという漫画があったけれど、
ゾフィーの「何も決める必要はない」にかぶさって聞こえた。
時代と周囲の流れをきちんと読んで、それに逆らわず
維持していくこそが大国の皇帝の務めであるのだと理解して、
自覚的にゾフィーと同じ形の為政者であろうとしている印象。
禅フランツには、シシィを理解する力もあったと思う。
だから史実のエリザベートが「彼が皇帝でさえなかったら」
一緒に幸せになれただろうと語った通りなのかもしれない。
「意識して」皇帝であっただけで、本来もう少しは、自由に
生きることの大切さを感じていそうな印象であったし。
けれど彼は、自分がちらりとでも「行動を起こす」ことが、
どれほど巨大帝国にとってマイナスになるか理解していた。
だから動けず、結果、帝国も愛する女性も失ってしまった。
だからもう私にとって今回の舞台は、
「傾城の美女に出会ってしまった最後の皇帝の物語」でした。
これほどの賢帝(少なくとも民族主義の台頭までは)が、
唯一、自分のために動いたことが、最悪の結果を招いた。
人生で望んだことは「エリザベートと共に」だけだったのに。
バートイシュルではまだ、「妻を選ぶ『ぐらい』なら、唯一
自由に任されてもいいだろう」と思っていたかもしれない。
ただ、自分にとっても相当の努力を強いられる作業である
皇帝の務めが、彼女にとっては不可能だったと気づく頃には、
それでも、彼女を自分のそばから解き放ってやれないくらい、
彼女を切実に求めてしまっていた。
だから、ゾフィーとの決別辺りから私に感じられていたのは、
ただひたすら、フランツの後悔でした。帝国を選ぶことも
彼女を選ぶこともできずに、動けないまま双方を苦しめる自分。
それでも、「我が妻」であることだけが救いであったのかと思うと、
抑制し動かないことに全ての力を注いでいたはずの彼が、
初めて自らの体で闘い抗う「♪悪夢」が辛かったです。
しかし、そうやって『エリザベート』を観てしまうと、
シシィの死から後、いきなり違和感があったのも確かで。
Un Grande Amoreのことなんか、すーっかり忘れていたし。
そこで助かったのが、ルキーニが最後に現れたことでした。
そういえばこれって、ルキーニの言い訳だったんだなと思ったら、
「・・・というお話でした。ちゃんちゃん」で落ち着いてしまいました。
シシィ、ごめんよぉ。でも、君の美しさは全編通して愛していたよ。
そんなわけで、劇場を後にしつつ何か違うようなと思ったけれど、
フランツの生涯に非常に引き込まれ、満足した観劇でした。
・・・で、目的の一つ、井上ルドルフもほぼ見そびれたよ(^^;
09月23日(金)
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