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今日の私
by かずき
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■藤原『ハムレット』体験。
<幕>1幕:105分、休憩:15分、2幕:90分
<演出>蜷川幸雄
<出演>
藤原竜也:ハムレット、高橋洋:ホレイショー、
西岡徳馬:クローディアス、高橋恵子:ガートルード、
鈴木杏:オフィーリア、井上芳雄:レアティーズ、
たかお鷹:ポローニアス、小栗旬:フォーティンブラス 他
藤原竜也1人勝ち。
もう、これが藤原竜也か!という感動。
彼の評判はさんざん聞いていたけれど、聞きすぎて
食わず嫌いになり、今まで何となく避け気味でいました。
『オイル』で、他の人目当てに行った時に かすったけど、
誰も何も魅力的じゃない舞台で、彼にも光を感じず。
でも。何と言うか。これをカタルシスと言うのだろうか。
ハムレットとともに生きた、快感。
この年になって、ハムレットを感じられるとは思わなかった。
初めて『ハムレット』を観たのは もう20代も半ばの頃で、
既にこの主人公は青くさい若者と感じられてしまっていた。
感情移入したのはガートルード。女としてクローディアスに
非常に惹かれ、同時に、息子を大切に思う気持ちも強く。
そして今年、2度目の『ハムレット』(野村萬斎主演)では、
もはやハムレットとは、はた迷惑な青二才に見えていた。
なのに、何が違うというのか。
ほぼ全編、藤原ハムレットに同化していました。
他人の感情って、その人が言葉にして耳にしたものを
自分の頭で理解してから心で感じますよね。対して、
自分の感情は、先に心で感じたものを頭で言葉に変換する。
藤原ハムレットは、私にとって、ほとんど後者だった。
セリフ回しが原因なのか?音楽のようにテンポがいいし。
異国の歌を聞く時、その言葉は分からなくても感情が分かる。
それと似た感じで、文字の音より感情が体に入るセリフ回し。
でも心は、頭が言葉にする以前に意味を知っているらしく、
情景描写のセリフでは、イメージが絵となって湧いてくる。
シェイクスピア劇のセリフは、飽きさせる人が多いけれど、
彼に関しては全くありえなかった。すごい。
だから、ポローニアスを殺してしまった後の場面にしても、
ガートルードが女に見える時や、母に見える時、
連続する大量の言葉で語られる感情の変化に違和感がない。
彼が言葉を発する瞬間に、自分もその気持ちになっているよう。
目の前のオフィーリアが愛しくて愛しくてたまらないからこそ
それが壊されることに耐えられず叫ぶ「尼寺へ行け!」も、
瞬間、自分にこんな激情があった事に驚くほど彼女が大切だった。
もしかして今回私が 一番盛り上がったシーンじゃないかなと思う。
幕が開いてハムレット登場から ほどない頃に、彼が独りになり、
いきなり壁に激突しまくる場面も、ごく当然だった。
激情以外では、同化とまではいかなかったけれど、
でも、存分に魅力的な姿に惚れて感情移入するのは簡単でした。
墓掘りやオズリックへの軽口、レアティーズへの素直な好意、
そういった、ちょっと才に走った感じも含んだ明るい若さ。
今までハムレットって、うじうじしてるうちに全部ダメにした
奴だと感じていたけれど、国民に人気がある理由も分かった。
何でもできたから、相談せずに独りで突っ走れたんだなと思う。
なんて魅力的な、その若さと才能!
辛うじてハムレット独り舞台にしていなかったのは、ホレイショー。
今までこの作品では、ホレイショーに魅力を感じていました。
どうしようもない王子の隣にいる、温和で頭の良い若者という印象。
でも今回は、王子に惚れ込んで忠誠を尽くしている凡人と感じて。
その誠実さをこそハムレットは愛したのだろうけれど、もしも
もう少しだけでもホレイショーが賢ければ!と思ってしまった。
そうすれば、何か変えられただろうにと思うのだけれど。
正直、この2人ぐらいしか目に入らなかったです。
すぐ隣にいるホレイショーには面白みを感じているんだから、
藤原竜也が他の光を消していたわけじゃないと思うけれど、
クローディアスとガートルードなんて、ひどく退屈だった。
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11月26日(水)
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