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今日の私
by かずき
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■『Mozart!』マチソワ観劇(またまた長文(^^;)
今は、月曜日の朝ですー。
外、初雪が降ってます。しんしんと寒いです。
お休みなら雪は好きです。独特の静かさがあるし。
でも、既に電車が遅れ始めているニュースとか聞くと鬱。
あー、今日は早めに家を出なくちゃ仕事間に合わない。
どうせ出かけなきゃなら、『M!』当日券の方がいいな。
こんな天気の日なら、少しは競争率低そうだもん。
そしてやっぱり、天気予報の雪だるまの目は動かない(泣)

この日記、夕方に、前日の分として書き始めたはずが、
途中で確認のためにと、買ったばかりのCD開けたら、
延々と聞いてしまって、慌てて聞くべき所へ戻したり、
無駄に歌詞聞き取りのため、繰り返し聞いたりしてたら、
あっというまに一晩、明けてしまいました。眠いよ(苦笑)
でもこのCD、ストレスたまる。こんなんじゃないよー!って。
日生で観て不満だった感覚が、当然、そのまんまだし。
しかも今 観たら、私が観た日より録音日が前。はぁ。
・・・これ絶対、帝劇CDなんて出してくれないよなぁ(泣)


もとい。『Mozart!』マチソワしてまいりました。
現実としては、両ヴォルフとも、10/19以来。
ただし、大変大変!同じ申し訳ないことには、
私にとって10/19Mの井上君の記憶はないようなので、
(帝劇で「井上君は日生初日以来なの!」と言っていて、
帰ってきて自分の日記を確認して愕然としたのです・・・)
井上ヴォルフは、記憶の中では日生初日以来。
結論から言って、両方とも すごーーく進化していて、
嬉しい観劇となりました(^^)

言葉にしようとすると、何か違ってきてしまうけれど、
無理に言うなら、井上ヴォルフは内面的で日本人好み、
中川ヴォルフは本来のこの舞台のヴォルフではないかと。
多分、どちらもこの舞台のテーマではあると思うのですけど、
内部における才能との戦いと、自分に才能だけを見る外部との
戦いと、どちらを前面に押し出してるかが違う気がした。

井上ヴォルフの、繊細さで自身を追い詰めていき、
死によって救われる感じは、エリザのテーマも思いだされ、
内野アマデとの組み合わせで、更に強く表されているし、
中川ヴォルフの、才能とは愛し愛されうまくいってたはずが、
外からの見られ方で歯車がずれていき、苛立ちが増加し、
今の自分自身を描こうとして果たせなかった姿は、
うまくいけば無邪気に笑い合える楓アマデと似合う気がする。

どちらが好きかと言われると、非常に困る。
ヴォルフ単体への理解や共感の度合いなら、完全に井上ヴォルフ。
やんちゃ度が上がってしまって、若干 統一性に欠けるけれど、
♪僕こそミュージック と素直に歌い上げられたころから、
挫折や失望を積み重ねるうちに、自己の中の才能の煌びやかさと
自分の間にズレを感じ、自身の曲が自身のものでなく感じられだす。
成功の一瞬は、全てが昔のようにうまくいった気がしたりもする。
そして、誰かに否定された瞬間、また自己が遊離してしまう。
振り回される彼は、すごく理解できて、最期の笑顔に泣けてしまう。

対する中川ヴォルフは、私には正直、若干 理解しづらい。
あまりにも、才能を含んだ自己をしっかり確立してしまっていて、
その自分自身の中の一部だけしか見ない人々が作り上げた
イメージとの落差で苦しんでいるように思われるから。
どんなに いろんな所で「変わった人」と言われる私であろうと、
相手が自分に求めるイメージに合わせて変わる人間でもあるから。
井上ヴォルフの「僕を見て!」も、中川ヴォルフのそれも、
丸ごと自分を愛された記憶がなく、成長しきれなかった子供の
叫び声には違いないけれど、自分自身の才能は一度も疑った
ことのない強さが、私には共感しづらいのかもしれない。

ただ、中川ヴォルフは、その理解しづらさを無視して強引に、
観ている者の気持ちを動かしてくる迫力があるのも事実。
どちらに強く心動かされたかと言えば、中川ヴォルフ。
今日の中川ヴォルフなど、自分で歌っていて感極まったのか、

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12月07日(土)
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