ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7690,閑話小題 〜私の中の「ぼく」「おれ」「わたし」
   * 自分の呼び名は…?
 年齢を重ねる節目に、私の中の「ぼく」「おれ」「わたし」が変わっていった。
と同時に何か大きく変わっていった。今だに、「俺」としか表現しない人もいる。
結婚し、一児を得て、家族を持つようになったころから、「わたし」が相応しく
なったような。学生時代までは「ぼく」と「おれ」であった。30歳代半ばまでは、
心がけて『わたくし』といっていたが、5年ほどで止めていた。 地元では平然と…
「おれ」という。女性が中年になると平然と中性化を自認してか?『オレ』という。
金沢では、若い男が平然と、「わし」といっていた。

  =Amazon レビューより=
≪ 私は普段、自分を「ぼく」と呼ぶ。「おれ」とは言わない。
昔から自分を「おれ」と呼ぶことに抵抗がある。「おれ」の語がもつ
荒い男性イメージが、自己イメージに馴染まないからだ。「ぼく」の語も、
自己イメージと完全に一致するわけではないが、「おれ」よりは近い。
 「ぼく」と「おれ」はともに男性の自称詞とされている。しかし小中学生
の女子は、ときに自分を「ぼく」「おれ」と呼ぶ。私自身、自分の娘や
その友人が、そのように言うのを聞いたことがある。自分が小学生のときも、
そう言う女子はクラスにいた。著者はその歴史はさらに古いのだという。
そしてそれは言語学の問題なのだという。

 「ぼく」は明治時代の「書生ことば」から来ている。明治5年の学制に
より、公式に学生となった女子のなかには、自分を「ぼく」と呼ぶ人が現れた。
自分を「女子学生」ではなく「学生」ととらえ、書生ことばを選んだのだ。
ことばの選択は、自己イメージの選択である。大人の女性的な「わたし」は
選ばなかったのだ。
 男子は幼児期に自分を「〇〇くん」と呼ぶが、少年期に「ぼく」や「おれ」
に変わり、大人になると「わたし」が加わる。 ところが女子の自称詞には
「ぼく」や「おれ」に対応するものがない。幼児期に自分を「〇〇ちゃん」と
呼んでいても、その次はいきなり大人の女性と同じ「わたし」なのだ。
そこで少女はときに、子どもでも大人でもない女性の自称詞として、
「ぼく」や「おれ」を用いる。著者はこれを「ことばの不足を超越した創造的
な行為」だという。
 自分をどう呼ぶか、他者からどう呼ばれるかは、自分をかたどるものだ。
そこには呼び方の強制という、権力をめぐる問題もともなっており、婚姻改姓
はその例だ。言語学者の著者はこのような、ことばを巡る問いを考える。
文章は軽やかで、説明は鮮やか。言語学ってこんなに面白いのか、なんて
スリリングなんだと思わされる。
    ◇
なかむら・ももこ 1955年生まれ。関東学院大教授(言語学)。
著書に『新敬語「マジヤバイっす」』など。

・・・・・・
7339,閑話小題 〜幼児餓死事件
2021年03月19日(金)
   * 福岡5歳児餓死事件
 福岡の5歳時餓死事件。痛ましい事件だが、二人とも創価学会員で、
宗教上の上下関係があったという。日蓮宗が悪いという事でない。それを
自我の達成のため悪用するのが問題。
 
  〜ネットニュースによると…
≪ 福岡5歳児餓死事件には常識的には考えられない話が多く伝えられている。
 その謎を解くキーワードとして用いられているのが「洗脳」。5歳児の母親は、
同時に逮捕された「ママ友」の洗脳下にあったのではないか、という。暴力団
関係者という嘘によって恐怖心を植えつけて、相手をコントロールしていく手法。
 狙われるのはどういう人は… 「気の弱い人、孤立しがちな人、対人関係が
苦手そうな人、そうした獲物になるような人を嗅ぎつけたら、まず自分が最大の
理解者であるかのようにして近づく。‘子ぎつねタイプの手法’である。 
特に春先など、彼方此方に見受けられる。相手の家庭状況、財産状況などを、
巧みに根掘り葉掘り、聞き出し、それを周辺にバラ蒔く、相手の心に侵入する
ことにおいて、天才的だといっていい。≫
 ―
▼ 宗教団体は大小に関わらず、集団的洗脳を取入れてている。

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03月19日(土)
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