ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7664,閑話小題 〜そもそも「自由とは…」何か…?
   * 社会主義国家か、自由主義国家か…
 ここで、何度も取上げてきたのが、自由と平等の問題。死の問題の次の人類の
大命題である。ギリシャの時代から、アメリカ社会の現在の世界の状況からして、
支配層、準支配層、被支配階級(奴隷層)まで…3,30,67%の階級が現存する。
アメリカ社会は、それをリアルに現している。 そこにリアルに出てきたのが、
社会主義思想。これユダヤ教のモデルに服装をつけた綺麗ごとに仕上げた教義。
この思想を実現するに、手段は択ばない狂信的な思想構造。アメリカで、比較的
暴動が発生しないのは、奴隷層にも、支配層への道標が開かれているため。
社会主義国家は、それに反する者たちを抹殺するため、問題になる。
 そこで、自由とは何かをネット検索すると、明快なのが、あった。

≪♦ 自由とは第一に、強制や束縛を受けずに気ままにふるまえることを意味する。
 旅に出て自由を味わうといった場合の自由は、こうした「…からの自由」だが、
これは動物や事柄にも適用され、たとえば籠の鳥は不自由だといったり、韻律に
束縛されない詩を自由詩とよんだりする。憲法では、様ざまな事柄に関して個人
の自由が保障されているが、これもそうした事柄に関して国家や他人からの不当
な干渉を排除するという意味では、強制、束縛からの自由とみることができる。

♦ だが自由には、もう一つ、消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な
「…への自由」という意味もある。哲学で選択や決断の自由とよばれるもので、
古来この自由は自由意志の問題として論議されてきた。 だが「自由意志」に
ついては別項で扱うとして、ここで選択や決断の自由を環境や状況との関連で
とらえる哲学説に触れると、たとえばシェーラー(1874―1928)は、動物の行動は
その環境世界の体制によって一義的に決定されているが、人間は逆に世界に対して
無限に公開的に働きかけることができ、ここに人間に独特な自発的自由がみいだ
されるとする。またニコライ・ハルトマン(1882―1950)によると、人間もまた
彼が位置するそのつどの状況によって制約されており、その限りでは人間は
まったくの自由ではない。とはいえ、状況は人間をある一つの行為へと決定する
のではなく、あれこれといった特定幾つかの行為に関してその選択、決断を強いる。
つまり人間は決断へと強制されているが、決断もまた一つの自由である。
ハルトマンは、そこで、選択、決断の自由は状況による束縛、拘束と両立しうる
と考えた。

♦ 視点は異なるが、状況内での自由という考えは、サルトルにもみいだされる。
 サルトルによると、人間はそのつどの状況において時々刻々自らの実存を自由に
創造していかなければならない。つまり自由は状況のうちにのみ存し、また
状況は自由によってのみ存在する。また選択、決断の自由を本来の自己への自由
とみるヤスパースによると、人間の根源的にして実存的な自由は、人間各自がその
現存在において自己自身であろうと決意することのうちに存する。「決意のうちで
私は自由を経験し、この自由のうちでは選択と自我との分離は不可能であって、
私自身がこの選択の自由である」という。なおマルクス主義は人間の疎外からの
自由と解放を説くが、その場合にもその根本には人間の全能力の開花を目ざした
本来的人間への自由が置かれているといえよう。≫

 ――
▼ 義務教育の最終年の中学校クラスの同級会が、地元なるが故に、毎年、開催
 されている。そこにも、3,30,67の区分が、半世紀以上も経過しても、その
まま存在している。地方なるが故に、先祖代々の家制度が沁みついているため。
一度、そこから離れてみれば、『そんなもの…』でしかないが、それが解らない。
寝て、醒めて気づくのが… <田舎の学問より、京の昼寝>である。まず知るのが、
その世界だけが世界ではないこと。

・・・・・・
6916,閑話小題 〜新型コロナの現状と、行方は? 〜3
2020年02月20日(木)
  
◆ 新型コロナウイルスは生物兵器なのか?

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02月20日(日)
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