ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6977,閑話小題 〜『私の家って、何処』 〜2
   * 『私の魂って、そもそも何 ? そして出自は何処?』
 田舎から上京し独り住まいで、その冷たさを実感する時、まず感じるのが
両親の持つ温もりの有難さ。これが幼児の頃に不足をすると、精神のバランス
を崩し不安定になる。50数年前の、わずか数分のクロスで、少女に尋ねられた
「私の家って、何処なの?」の言葉が心に残ったかというと… 
そこ頃、渥美清の『男はつらいよ!」のTV放送が開始した頃… 
<全国の祭りを求て流離う人の好いテキヤの悲喜こもごもの物語> その男の
実家が、浅草の老舗の🍡団子屋。年に数回、気が向くと帰り、実家周辺や、旅先
で騒動を起こす。帰る家があればこそ、流離いが可能になる。瘋癲の中年男の
仏性に故郷の懐かしさを醸し出す『私の家って、如処?』が背景にある。

 結婚まで、東京、四日市、神戸、金沢と流れて、最後は千葉で結婚した直後
に起業。 5年近く流離の身。その間、このテキヤの実家の団子屋の疑似家族の
温もりに、大いに助けられた。独身時代の流離は、心の芯は凍りつく寒々しい
ものがある。旅先で‘連れ’を一度、決めると、それは重荷! 常に身辺整理
をして、次の場面に備え、社会の裏表が見える立場に己を置く。何れの世界には、
TPOSの最適な女性、酒友が存在していることを経験から知りえていた。
 
 で… 『私の家って…』のところには、出自の両親が待っている。
この幼女の純朴な問いかけ…『私の家って、如処?』の家を‘魂’に置換えて、。
『私の魂って、何処にあるの』は、人類永遠の哲学的問いかけ。幼女の問いは、
若かりし青年期に‘私って何もの?’のヒントを与えてくれていた。魂とは、
最後の最後は、その辺りに… アメリカのような多民族国家の住民は、その中で、
常に他者を合せ鏡で自問自答させられる。 逆に、小さな岩場で群れていると、
自分の出自を考える機会がないためか、その歪みに気づかない。
それ故に、その歪みが何か知り得ないため、ガラパゴスの意味さえ知り得ない。
 哲学者への、この一連の『ポスト新型コロナ・パンデミック』は、如何なる
世界像が求められるか?に、<島国・日本の独自の土壌が生みだした
『ガラパゴス化』にヒントあり>と、哲学的な答えていたが、なる程納得できる
答えであって。但し、それは普及した世界的規格と、合い入れる前提がある筈。
 それを言うなら、個性的人間そのものも、当てはまる。

 魂といえば、20年程前に長岡花火を観入っているガン末期の老女への感想
を聞く場面があった。『私の魂の故郷は、子供の頃の想い出のすべて!』。
その年齢に近づきある日々。私の魂の故郷は、両親と過ごした想い出にある。
今では、家内と供にした秘・異郷先で感動した場面の想い出が加わわる。

・・・・・・
6610,閑話小題 〜あと数日で「平成」が終わり「令和」に
2019年04月21日(日)
   * 行きつけのスナック二軒が廃業
 あと10日もしないうちに、「平成」から『令和』に改元される。この影響は、
思いの外に大きくなる? 先日の中学校の同期会で知ったのが、この二次会で
行きつけのスナックが二軒とも直近に廃業したとか。両店とも40年以上の老舗。
 同世代のママさんが営業していたが… 何か不景気風な感じだった。 
<平成も終わりを…「止めるに年号変更を区切り」>と考えるのは至極当然。 
同年代の客層のリタイアが主原因だが、年齢を重ねる度に飲む機会は減ってる。
<75歳を過ぎると活動範囲が狭まるため、金がかからないってさ!>と聞いて
いたが… 改元は、様ざまなカタチで私たちの決断を促す。 明日から数回、
「平成って、何だったのだろう?」をショートショート風に書いてみようか。
平成は1989年〜現在(平成元年〜 現在) 昭和64年。 私は43歳。
 ―
   * シネマ・ 「シャザム」
 子ども向きで、ドツキ漫才的だが、何かしら笑えて面白い。閉ざされた肉体と
精神を解放させて欲い欲求を、キセズして与えられた力で悪を対峙するところが、
最近のハリウッド映画の特徴。

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04月21日(火)
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