ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6864,閑話小題 〜辛いけど、正視しておかないと!
            <NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』>
   * 目さえ叛けなければ… 死の問題は…! 
 録画をしていたNHKスペシャルを半年ふりに見た。
スイスの療養所で、死にいく瞬間を、医師と看護師、そして2人の姉妹が
見届ける瞬間は神神しくて、私も涙が溢れ出ていた。後日、火葬されて川に
遺骨が流されたと… 最後に猛毒を点滴のセンを捻るのは当人…。その瞬間が、
淡々と映し出されていた。
 もう一人の女性は、家族との温みを感じたい… 胃婁でも何でもして生きたい
と延命を選んだが、何やら後ろめたい表情が本人に感じたのは私だけ?
明日は我が身なるが故に、尚のこと直視しておかなければならない問題。
<死ぬ時ぐらいは楽々と逝かせれや!>が、私の見終わった感想。
   〜内容といえば…
《◉ 3年前に、体の機能が失われる神経難病と診断されたAさん。歩行や会話
 が困難となり、医師からは「やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる」と宣告。
その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」
と、スイスの安楽死団体に登録した。 安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けた
のが家族。自殺未遂を繰り返す本人から、「安楽死が唯一の希望の光」だと
聞かされた家族は、「このままでは最も不幸な最期になる」と考え、自問自答
しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。そして、生と死を巡る対話を
続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。 》
 ―
▼ 生き方は選べるが、死に方は選べないのが世界の実情。その人がその人らしく
 人生を全うする安楽死は必要なのではないか。…見ているのが辛かったが、最後
まで当人が取り乱す様子を感じられなかったのは、そのまま延命措置を施しても、
『身の回りの事をやってもらって、ありがとうって言えなくなる気持ちがわかる?』
の言葉が決めて。 現在、安楽死を認めていているのはスイスだけ。だから自殺が
非公認で… 誰だって死にたくはないが、そうはいかないから問題。
もし逆に、死がなかったらどうなる? 私もあと二週間で前期高齢者の最終年に!
 余命、数ヵ月と宣言された瞬間が、いつ来るか? 覚悟をしているが、現実とも
なれば… 出来ることは、今日一日、充実して生きること。 
さて今日一日、何して楽しもうか。「死を考えることは、生を考えることになる。」
 
  経費は150〜200万! まさか、ツアーも組めないし!

以下のつながりある文章は、偶然です! だから死の問題は深いのです。
この彼女が弄ったのでは?

・・・・・・
2018年12月30日(日)
6499、つれづれに哲学 〜「1人称の死」と「2人称の死」の関係性

   * 「死」を通して家族の絆を考えてみる
 ギリシャ時代から『死』の問題が哲学されてきた。そして、その問題が目前
に現実問題として近づいてきた。【死】からみれば全てがカスリ傷でしかない。
だから直視して【生】を考えなければならない。死について、ギリシャの哲学者
エピクロス(B.C.3−4) の「快楽主義者」を思いたつ。「…われわれが現在する
ときには死は現在せず、死が現在する時にはわれわれは存在しないから。」と。
 それを人称を使ったのがジャンケレヴィッチである。
   〜ネット検索による内容とは〜
≪ 死の問題を考えるとき、フランスの哲学者であるジャンケレヴィッチの
 「死の人称」がよく引用されます。
ジャンケレヴィッチは、死を文法範疇の人称を使って三つに区分しました。
・「1人称の死」は(私)自分の死、
・「2人称の死」は(あなた)近親者の死、そして
・「3人称の死」は(それ以外)他人の死です。
日々、マスコミで信じられないような凶悪な殺人事件や海外でのテロ事件
などが報道されますが、これは私たちに直接関係のない「3人称の死」です。
  ♦ 1人称の死と2人称の死を、著書「死」の中で次のように述べる。
「父あるいは母の死は、ほとんど われわれの死であり ある意味では実際に

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12月30日(月)
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